小学6年生の息子が、私にハンデをくれるようになった。
Nintendo Switchのゲームで遊ぶとき、一緒に走るとき、腕相撲するとき。
私のほうができないものは、そこそこ対等な勝負になるように、調整してくれている。
幼いころは、負けると盛大に泣き、怒り、拗ね…のフルコースで、
“ひとつひとつの気持ちを受け止め、子どもが現実を受け入れられる土台を作る”
余裕など、正直なところ、私にはなかった。
“お母さん=弱い”というキャラクターで通し、
日常生活のために、平和的共存を最優先としてきた歴史がある。
「厳しさを教えないといけない」「天狗にさせてはよくない」
とは、当時よく言われたけれども、
今の息子が私に対して、強さに驕っているかといえば、決してそんなことはなく。
むしろ、
「お互いに楽しく遊ぶには?」
「相手にケガをさせないためには?」
という、思いやりからきているハンデだと感じている。
それで息子が負けたとしても、ちょっぴり悔しそうではあるけれど、
ハンデのせいだと声高に叫びもしないし、次は別のやり方を試している。
強い相手に対しては、黙々と勝利を追求するけれど、
母とは「一緒に楽しむ方法」を、模索してくれているようである。
ずいぶんと大人になったものだ。
親が教えなくても、ちゃんと子どもは成長していく。
…とは言え、格闘ゲームで“息子だけ目を閉じてプレイする”ハンデをつけたときは、
「さすがに無理だろ!」
と笑われた。
そして僅差で、私が負けたのであった。