【noteエッセイ】私の友だち

大好きな友だちがいる。

「ご近所さん」でも「ママ友さん」でもない、大好きな「友だち」だ。

私は結婚と出産のため、退職と同時に、旦那さん以外に知り合いのいない土地に引っ越した。

さらに、新しい環境に慣れる間もなく、妊娠トラブルで数ヶ月の入院生活を送っていた。

気を許せる繋がりがまだ何もない場所で、仕事にも行っていない私の社会は、あまりにも狭い。

新しい人間関係を築くきっかけは、近所に住んでいるか、子どもの年齢が近いかぐらいしかなかった。

その極小の社会の中で、奇跡的に彼女に出会った。

始まりは、ご近所のママ友さんとして。

お互いに町外から嫁いで、義家族と同居中という境遇が似ていたからだろうか、

当時は絶賛人見知り中だった私が、話しやすいなと感じる相手だった。

お互いの子どもも気が合ったようで、親子で遊びながら、世間話をする。

この「なんでもない話」ができる相手がいてくれることが、この上なく嬉しかった。

おつきあいは続き、今では子ども抜きでも延々とおしゃべりを楽しんでいる。

ふたりでランチにも行くし、本が好きなので貸し借りもさせてもらっている。

ありがたいことに、彼女のご家族からも可愛がっていただき、すっかり「友だち」なのである。

大人になってから、まさか近所で「友だち」と呼べる人に出会えるとは思わなかった。

私はなぜ、こんなにも彼女が好きになったのだろう。

なんといっても、彼女からにじみ出る心地よさが素敵なのだ。

田舎特有の「ご近所さんの行き過ぎたお節介」の煩わしさが、まったくない。

かといって、よそよそしさを感じることもない。

ごく自然に、会話ができる。

つかず離れず、でも何気ないことから困ったことまで、ふいっと話を振れる雰囲気が、すごくいい。

本好きという、共通の趣味があるのも大きい。

ひと口に「趣味は読書」といっても、ジャンルが幅広いため、ピンポイントで好みが合う人に出会うことは少ない。

事実、私と彼女も、読む本はまったく違っていた。

それでも「これ、おもしろかったよ」と薦めてくれる本には、今のところ一冊たりとも外れがない。

私の好みに対して、理解力と想像力が神がかっているレベルで、それだけ人に気持ちを割いてくれていることがありがたく、尊敬しかない。

ここで暮らしていく上で、物理的にも精神的にも、ずっと助けられている。

私は何ほども返せてはいないけれど、彼女を大切にしたくて、何気ない瞬間に、

「これは喜んでくれるかな」「こんなの好きそうだな」と思いを馳せる。

それを積み重ねるうちに、相手の気持ちに寄り添った想像が、少しずつできるようになってきた。

最近はお互いに、出かけた先で、おもしろ素敵な栞を見つけると、おみやげに選ぶのが楽しみになっている。

育児や介護が絶え間なく続く私たちだけれど、いつか一緒に旅行に行こうねと約束しているので、今はひそかにへそくり中だ。

小さく狭いコミュニティの中で、これからもずっと仲良くしたいと思える友だちに出会えたのが、何より幸せなことである。

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