【noteエッセイ】「ダダミ」の思い出

子どもの頃、タラの白子が食べられなかった。

地元で「ダダミ」と呼ばれていたそれは、わが家ではみそ汁の具材であり、

魚の香りが漂う薄味の汁に、ぷかりと浮いている、もにょもにょした白さと、

噛み切るときの、ぷちりとした歯ごたえが、どうにも嫌いだったのだ。

「ダダミ」は全国的には「白子」と呼ばれるのだということも、

臭みの少ない、ぷりっと大きな白子は、親戚の家業ゆえに食べられた、

それなりの贅沢品だったということも、大人になってから知った。

かりっ、じゅわっと揚がった白子の天ぷらや、こっくりと艷やかに光る煮付けを食べて、

「ダダミ」のおいしさに、ようやく開眼したのである。

今の私が、あの頃のダダミのみそ汁を食べたら、おいしいと思うのだろうか。

それとも、やはりみそ汁の具材としては、好きになれない食材なのだろうか。

ダダミを融通してくれていた親戚も、家業を畳んでしまったので、

昔のように新鮮なダダミを手にすることもなくなった。

そもそも私は、魚介類の調理が、この上なく苦手ときている。

ダダミを手に入れてくれる人と、料理してくれる人と、

両方が揃わねば、二度とは食べないであろう、記憶の中だけの味。

「白子とカブのトマトココナッツグラタン」なる、おしゃれな料理をいただきながら、

ふいに浮かんできた、ダダミの思い出である。

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