寝坊して、明るく陽気に遅刻を選んだ息子を、小学校まで送って行った。
児童玄関の前で、中に入れず、しゃがんで泣いている子がいた。
そばには先生がついていて、一緒にしゃがんで、
押すでも引くでもなく、一生懸命に寄り添おうとしている姿が、目に入る。
心臓が、ぎゅうっと絞られるような気持ちになる。
私にも、身に覚えがあるからだ。
子どもとしても、親としても。
「そこまでして、学校に行く必要はない」とも、「がんばれ」とも、思えない。
学校に行くことだけが、行かないことだけが、解決策ではないのも味わっている。
わが家の健康な不登校さんたちは、本人の状態に加えて、親や兄弟姉妹の状況、
同居家族を含む家庭環境、学校内外でのサポート環境を含めて、
行き着いたスタイルが、
・家族と一緒に、朝起きる。
・1日に一度は家から出る。
・学校の玄関まで一緒に行って、先生に「帰ります」と言って、一緒に帰る。
だった。
先生方の理解によるところが大きく、いつ学校に行っても、玄関前で、
「おはよう。よく来てくれたね、会えて嬉しいよ。お疲れさま。気をつけて帰ってね」
と、引き止めることもなく、送り出してくださっていた。
好きそうな給食や授業があるときは、本人に伝えてくれていたけれど、
そこから無理に登校を促すことも、ほぼなかった。
声をかけるとき、ちょっぴり押してみるとき、すっと引くとき…
本人の様子を見ながら、対応してくださっていた。
そのおかげで、子どもたちは家にいても、
“みんなと同じように行けない自分”
に、そこまで苦しまずにすんでいたように見える。
やがて、家で母と過ごすより、おもしろさや達成感がある世界を知った子どもたちは、
社会で生きる手段として、自分のペースで、登校を始めた。
朝、自分で登校して、みんなと一緒に教室で過ごし、下校時間に帰ってくる…
という子は、実はわが家には圧倒的に少ない。
それぞれが、単位制の学生みたいに、“今日の過ごし方”を選んで、
学校や適応指導教室や、放課後等デイサービスに行き、帰る。
(地元にはフリースクールがない)
送迎や、家で過ごす時間に対応できるように、私と旦那さんは、暮らし方を選んだ。
そしてわが家は、今のところ、それがよかった。
子どもの数だけ、家庭の数だけ、そのときどきに、最適解がある。
ただ、どうにもならない膠着状態が、私はいちばん辛かったから、
玄関前で泣いていたあの子が、涙を流さずに、行ける場所があるといいなと祈るし、
先生が心を痛めずに、迎えられたらいいなと願うし、
親御さんが、安心して送り出せるようになるといいなと思う。
今朝のあの子は、今ごろ笑顔になっているだろうか。