ハッピーライティングマラソン#15 生きている、と体験すること。「本当はやってみたい」と思っていることは?

義祖母の葬儀を執り行った。

大往生といわれる年齢で、穏やかな表情で、

緩やかで温かい悲しみが漂う、見送りだった。

世代は離れているものの、直系の同居家族ということで、

生前から見送りまで、それなりに濃密に関わってきた。

とても迫力のある、元気なおばあさんだったひとは、ちいさな棺におさまった。

立って半畳、寝て一畳という言葉が、脳裏をよぎる。

ひとは、こんなにもちいさくなる。

死者を見送るあいだの意識は、ずっとふわふわしている。

体は忙しく動いているけれど、気持ちの一部は、どこか遠くを漂っている。

読経の旋律は、そんなおぼつかない意識を巻きこみ、さらってゆく。

きれいに残った骨が、かさりと音を立てた。

私は、まだ死ねない。

今は、まだ。

足の指を、ぐっと開く。

地面をとらえて、踏ん張る。

「死ねない」と「生きたい」は、必ずしも同義ではないけれど、

死ねないと思うなら、生きている証を探さなければならない。

自分の足で、大地を踏みしめたいと思って、そうしてみた。

生命の感触が、私の意識を引き戻す。

生きている、と体験することを、やってみる。

またいつか、会う日まで。

終わりかけの蝉の声に包まれた、秋の午後。

ちいさな壺に入った魂のかけらに、そっと訣別した。

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