いつだって、きみの笑顔を祈っている

中学生の兄にくっついて、夜ふかししていた次男(小3)が、寝坊しました。

【いつだって、きみの笑顔を祈っている】

「登校班と学校に連絡せなあかんから、

めっちゃ急いで合流するのか、遅刻にするのか、まず教えて?」

と聞いたら、明るく陽気に、

「遅刻する!」

を選択したので、私が送っていける時刻を伝えて、準備しておいてもらい、

手を繋いで、小学校まで一緒に歩いていきました。

「暑いなー」「あっ、魚がおる!」

「給食なんやったっけ?」

「お母さん、歩くの遅いよ!」

だらだらと、おしゃべりしながら登校して、

彼はスタスタと校門をくぐり、入っていったわけなのですが。

玄関のそばに、中に入れなくて、しゃがみこんで泣いている女の子と、

一緒にしゃがんで、押すでも引くでもなく、一生懸命に寄り添おうとしている先生がいて。

ぎゅうっと、心臓を掴まれたような気持ちになりました。

子どもにも、大人にも、どちらの立場にも身に覚えがあって。

「そこまでして、学校に行く必要はない」とも、

「がんばれ」とも、思えない。

学校に行くことだけが、行かないことだけが、

人生の解決策ではないのも、味わっているから。

わが家の健康な不登校さんたちは、

本人の状態に加えて、親や兄弟姉妹の状況、

同居家族を含む家庭環境、学校内外でのサポート環境を含めて、

いろいろ試してみて、行き着いたスタイルが、

・家族と一緒に、朝起きる。

・1日に一度は家から出る。

・学校の玄関まで一緒に行って、先生に「帰ります」と言って、一緒に帰る。

でした。

先生方の理解によるところが大きくて、

いつ学校に行っても、玄関前で、

「おはよう。よく来てくれたね、会えて嬉しいよ。

お疲れさま。気をつけて帰ってね」

と、引き止めることもなく、送り出してくださっていたし。

好きそうな給食や授業があるときは、本人に伝えてくれていたけれど、

そこから無理に登校を促すことも、ほぼありませんでした。

声をかけるとき、ちょっぴり押してみるとき、すっと引くとき…

本人の様子を見ながら、対応してくださっていたんです。

そのおかげで、子どもたちは家にいても、

“みんなと同じように行けない自分”に、

そこまで苦しまずにすんでいたように見えました。

やがて、家で母と過ごすより、おもしろさや達成感がある世界を知った子どもたちは、

社会で生きる手段として、自分のペースで、登校を始めています。

朝、自分で登校して、みんなと一緒に教室で過ごし、下校時間に帰ってくる…

という子は、実はわが家には圧倒的に少なくてw

それぞれが、単位制の学生みたいに、“今日の過ごし方”を選んで、

学校や適応指導教室や、放課後等デイサービスに行き、帰ってきます。

(地元にはフリースクールがない)

送迎や、家で過ごす時間に対応できるように、親もライフスタイルを選んだ。

そしてわが家は、今のところ、それでよかったんだなと。

子どもの数だけ、家庭の数だけ、そのときどきに、最適解がある。

ただ、どうにもならない膠着状態が、私はいちばん辛かったから、

玄関前で泣いていたあの子が、涙を流さずに、行ける場所があるといいなと祈るし、

先生が心を痛めずに、迎えられたらいいなと願うし、

親御さんが、安心して送り出せるようになるといいなと思います。

今日のあの子は、今ごろ笑顔になったかなあ。

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