「似合う」って、なんだろう。
その人以外のものになろうとしているときの、しぐさや言葉、ファッションやメイクは、
傍から見ていて、なんだか似合わないような気がしてしまう。
だけど、その人自身は、なりたい自分になろうとしているのかもしれない。
このあたりに、自分は似合うと思っても、相手はそう感じなかったり、
相手が似合うと言ってくれても、自分ではそうは思えなかったりの、
認識のズレが生まれるのだろうか。
「似合う」とは、
“ちょうどよくつり合う。ふさわしい感じでよく合う。調和する。”
の意だという。
自分と周りが調和しているのが、似合うということだとしたら、
その場に合った外見の人や、立ち居振る舞いのできる人は、確かにそこに似合うのだろう。
ただ、それは“場に自分が似合っている”であって、
“自分に場が似合っている”かどうかは、また別の問題だ。
そのバランスが崩れると、調和とはかけ離れてしまう。
自分も、相手も、世界も。距離感も、雰囲気も。
互いに心地よいバランスが取れていると、調和している状態だと感じる。
この感覚は、どこまでいっても主観的なもので、自分の思いなしには成立しないものだ。
もしかしたら、そのときどんな自分を目指していたとしても、
心地よい世界に従って生きているだけで、何をしていても、何を身に着けていても、
私に「似合う」ようになっているのかもしれない。