味覚過敏の息子がいる。
「気に入ったら、それしか食べないんだから…」
と苦笑いして育ててきたけれど、実は味覚が敏感ゆえに、
安心して食べられるものが少なかったのではないか、と今は思っている。
私も好き嫌いは多いし、学校給食に涙したこともあった。
それでも、自分の感じ方が、自分にとっての普通だから、
私より苦もなく何でも食べている人は、頑張っていてすごいな、と嘆息したし。
アレルギーでなく私より偏食な人は、もう少し頑張って食べてみたらいいのに、としか考えられなかった。
そんな親のもとに生まれた息子は、苦労が多かっただろうなあ。
何かを判断するとき、自分だけが基準になると、私はやさしさをなくしてしまう。
自分なりの基準を持つのは、大切なことなのだけれど、
誰もに“自分なりの基準”があることを、忘れてはいけないんだな、と思う。
私のものさしの目盛りは1センチ間隔でも、あの子の目盛りは3ミリ間隔なのかもしれない。
そもそも、あの人はものさしではなく、巻き尺を持っているのかもしれない。
自分とは違う視点からの世界を、少しずつ想像できるようになることが、
私にとっての“多様性を身につけること”になっていく。