2年前のある日、「学校に行けない」と言った長女。
行っても行かなくてもいいよ、と、ようやく心から言えるようになった今、自分なりに少しずつ、勉強も再開しています。
私は、家では居心地のよさと安心感を優先したくて、勉強については、ほとんど口を出さなくなりました。
もともと長女は、私より何でもできる子です。
その子が、学校や支援機関で、「今日はこんなことができました」「こんなところが素晴らしいです」と、言ってもらえて。
親として、嬉しさや安心感とともに、小さな迷いもありました。
「娘に無理強いしないことで、確かに安定はしているけれど。
その代わりに、いろんなことができるようになったかもしれない可能性を、潰しているのではないだろうか。」
そんなふうに、考えることもあったのです。
娘との距離感や、声かけの匙加減は、今いちばんいい状態だと思っています。
でも、もしかしたら、もっと背中を押したら、花開いた力もあったのではないか…と。
親のエゴだし、矛盾した思いではあるのですが、心の奥で燻っていました。
大丈夫、心配いらない
そんな迷いを打ち明けたときに、もらった言葉。
「大丈夫ですよ。心配いりません。
逆に言えば、学校に行っている子は、学校に行かなかった生き方の可能性を潰してるってことになりますしね。
乱暴な言い方ですけどね(笑)」
それで、すうっと気持ちが楽になりました。
言葉遊びみたいな理屈だけれど…確かに、その通りなんですよね。
結局は、どちらを選んでも、どう転んでも、きっと大丈夫なようになっていて。
いつだって、今がいちばんベストなんだと思います。
――そういえば、以前、心屋仁之助さんの本で、こんな一文を読みました。
「人に依存するな、自立しろ」と言う人は、「自立すること」に依存している。
これも、私のしんどさを和らげてくれた言葉遊びです。
世間一般の常識や正論を、少しだけ視点を変えて受け止めてみたら、ずいぶんと救われるところがあるのだなあ…と、実感したのでした。