毎月恒例の、子育てボランティアに、行ってきました!
【安心の基準を求めてる】
今回は、お母さん方が講座を受けている間の、生後3〜4ヶ月の赤ちゃんの託児。
預かりの室内に、まだ動き回れない赤ちゃんが10人ほど、
ころころとねんねして、手足をパタパタさせている可愛さといったら…!
#泣いても笑っても愛らしい
#癒やしでしかない私が抱っこしていた赤ちゃんは、動きが少なく、おっとりさん。
目をゆっくりと動かして、あちらこちらを眺めていました。
周りの子や、おもちゃにさほど興味を示さず、自分の手で遊んでいたので、
私も一緒に、お手々をつんつん。
まったりと遊んでいたら、保健師さんが、
「ちょっと反応が薄いので、刺激を与えましょうか」
と、うつぶせの練習を始めました。
なるほど。私は、遊ぶ気分じゃないのね、のんびり屋さんなのね、と捉えていたけれど。
プロの視点だと、月齢相応の動きが見られないと、
病気や怪我や、発達の遅れを疑わなくてはいけないんですね。
それで原因がわかって、治療できる場合もあるものなあ。
突然の、うつぶせチャレンジに、びっくりして泣いている赤ちゃんを見ながら、
“発達の遅れ”って、どこまでがよくて、どこからがダメになるんだろう?
って、ふと思いました。
うちの末っ子も、いたって健康だったのですが、
1歳になるまで、おすわり以外ほとんど動かず。
健診で引っかかって、しばらく療育に通っていました。
結果的に、異常はなく、ただ「その気じゃなかっただけ」らしくて、
#療育でもご機嫌で遊ぶが動かない
1歳になったと同時に、寝返り・ハイハイ・つかまり立ち・つたい歩きが、一気に始まりました。
療育に通ったから、できるようになったのかもしれない。
通わなくても、時期が来たら、自分から動き出したのかもしれない。
本人はご機嫌に過ごしていたから、当時もそんなに心配はしていなかったし、
今となっては笑い話だけれど、
健診で「発達が遅れている」と指摘されれば、気になりました。
家庭での過ごし方に刺激が足りないのでは、と言われれば、気にしました。
集団生活が始まってからの“発達の遅れ”は、
社会での困り度合いで、サポートがついたり、病名がついたりするし、
逆に困らなければ、“個性”の枠に収まりますが、
赤ちゃんは、そうもいかないか。
この赤ちゃんが、個性なのか遅れなのか、私には判断できないけれど、
お母さんが、あんまり気に病まないといいなあ…と思いました。
――でも。
昔の自分と重ね合わせて、そんなことを、つらつらと考えている私が、
実はいちばん「正常か」「平均か」「定型か」を、気にしているのかもしれないですね。
分類して、安心しようとしている。
安心する基準を、外側に求めている。
という感じかな。
今のわが子に対しても、同じなのですが。
これは個性だ、子ども自身のペースなんだ、って心から思っていたら、
周りから必要以上に、何かを言われたとて、
「ふーん」で終わる話だから。
あれこれ考える時点で、気になっているんだろうな。
気になることと、そこからどんな行動を選ぶかは、また別のことだけれど、
私はここで、外側に安心を求めるのね、って気づいた出来事でした。