欲求を正しく扱うことが、大事だなあと思った話です。
【自律する力】
3年ほど前の日記を、たまたま読み返しました。
そこには、こんなことが書かれていたんです。
#ちょっと長いですが
#以下概要↓↓
貯めたおこづかいを握りしめた長男と次男を連れて、おもちゃ屋さんへ行きました。
計算ができる長男は、ちゃんと目的のものを買えたのですが、まだ数字がよくわかっていない次男は、会計に数百円が足りなかった。頑張っておこづかいを貯めたのに、買えなくて泣きそうな次男を見た私は、こう考えました。
「かわいそうだし、足りない数百円は、大人にとってはそこまで大金ではない。
でも、お兄ちゃんが自分でおこづかいを貯めて買ったのに、弟にだけ親が出してあげるのは違う。
悔しくて悲しい思いをするのも、次男にとっては、きっと必要なこと。
心を鬼にして、気持ちの整理がつくまで待とう」
すると長男が「足りない分、出してあげるよ」と声をかけ、次男のくしゃくしゃ泣き顔は、あっという間に笑顔になりました。
結果、ふたりとも満足の帰り道になったけれど、弟に援助したことで、兄の財布がからっぽになったのも、私は知っていました。
で、素直に、長男がすごいな、と。
自分の財布を空にしてまで、誰かを助けられるとしたら、わが子ぐらいしかいないから。
小学生の私には絶対に無理だと思ったから。
私は我慢が美徳だと育てられたし、欲しいものが簡単に手に入る子ども時代ではなかったからか、
いつも足りない感覚ばかり抱いていて、人のために気持ちよくお金を使うことができなかったんです。
欲しいものは苦労して我慢した代償で手にするものだ、と信じていた。
でも旦那さんや義両親は、おもちゃでもお菓子でも、わりと制限なく気軽に与えます。
物を大切にできなかったり、我慢がきかなかったりする子にならないかと心配だったし、
事実、小学生になるぐらいまでは、欲しい物が手に入らないと泣く子たちでした。
それが今は、自分の本当に欲しい物を考えるようになり、
ごはんに差し支えない量のおやつを自分で調整するようになり、おもちゃを取り合って揉めることもなく。
私は逆で、物やお金への執着が強い子どもだったなあ、と思い返しました。
与えすぎても教育上よくないと考えていたけれど、もしかして不満がなく困っていないから、おもちゃやお菓子を快く譲れるし、
募金箱にためらわずに千円札を入れる娘のように、人のためにお金を快く使えるのかもしれない。
「自分の愛情のコップが満たされていないと、人に愛情を注げない」と言われるけれど、物やお金も同じなのかもしれない。
私も、我慢ばかりを美徳とせずに、自分も周りも満たされる生き方を考えよう。
#以上が日記の概要↑↑
で、さらに子どもたちが成長した今、あのとき感じたことは、あながち外れてはいなかったな…と思ったのです。
たとえば、わが家では、ゲームやタブレットの使用制限を(年齢フィルター以外は)特にしていません。
やることさえやれば、好きにしていいよという方法です。
制限がないことで、最初にどっぷりとやり込んだ後は、各々自分でペース配分しながら楽しんでいる様子。
完璧に自律できているわけではないし、失敗ももちろんするのですが、
「欲求を正しく感じてコントロールする」という力が、少しずつついているように見えます。
すべての子育てに当てはまる正解はないけれども、とりあえずわが家には、
この「制限が(あまり)ない中から取捨選択させていく」スタイルが、合っているみたいです。
#これからも試行錯誤ではあります
わが子たちが、大人になってから、どんなふうに生きるのか。
答え合わせを、楽しみにしています。