「感謝はしてるけど、好きじゃない」っていう気持ちに、モヤモヤしていたのですが。
「それもいいじゃん」と、思いました。
【それがいい、それでいい、それもいい】
私、自分の家が、建物として、あまり好きではありません。
義家族と敷地内同居で、祖母が使っていた古い離れに住んでいます。
このご時世、広い家はありがたい。ローンを抱えなくてすんだのも、ありがたい。
だけども、やたら段差が多かったり、押入れの面積が部屋を圧迫していたり、
砂壁が崩れてきたり、すきま風が吹き込んだり。
動線が不便だったり、義家族の物置部屋があったり…、
機能面が、どうにも好きになれない!
で、ですね。
私は数年前、持ち物の8割を手放しました。
断捨離とか、シンプルライフとか、ミニマリストとか、その流れのあたりかな。
人生変えるぞ! というような、一大決心でも何でもなくて。
“人は、持ち物の2割で生きていける”と聞いて、
すごーい! ほんとに!? やってみよっと!
…みたいな、思い立ちですw
そうすると、ついてくるオプションが、
“自分の大好きなものだけに囲まれた暮らし”
という言葉。
久しぶりの、理想を追い求める感覚は、楽しかったです。
だけど、追求すればするほど、家の住みにくさが悪目立ちしていく。
自分の中で「この家には、感謝してるけど、好きじゃない」気持ちが、
どんどん強まっていくんですね。
それが、すごく嫌だったんです。
家があることに、感謝はしている。
でも、この家、好きじゃない。
そこで私がモヤモヤしていたのは、
「“好き”や“理想”は、100%そうでないといけない」
と、思い込んでいたからなんです!
たとえば旦那さんだって、子どもだって、好きなところがたくさんあって、ちょっと嫌だなと思うところがあって。
全部ひっくるめて“好き”なわけで、それがいいのに。
家に対しては、純度100%の理想を求めてた!
#なんで!?
#昔は親子関係にも求めてましたw
別に家のすべてが好きになれなくても、感謝も愛だから、それでいいし。
「とはいえ愚痴りながら暮らしたくない」と、自分で決めたから、
できる範囲で快適な暮らしを、追求しているだけで。
私がしたいのは、手術みたいに嫌な部分を切り捨てることじゃなくて。
理想じゃないものも内包して楽しく生きられる、包容力とか許容力がほしいんだ!
#結果として住めば都になっても
#引っ越すでもリフォームするでも
#どちらでもいい
この数年間、
“柔らかく、しなやかに、ゆるやかに生きたい”
に向かってきたはずなのに、いろんなところで、ガチガチの白黒思考が顔を出してくるから、自分で自分がおもしろいですw
要らない思考や価値観は、ほぐして。
大事にしたいところは、残して。
今年は、さらに自分を知って、私自身を取捨選択してみようかなあ。