今日は、うすぼんやりした日だと思う。
空は晴れているけれど、あちこちに平べったい雲が伸びていて、全体に霞がかったような空気が漂っている。
文章を書いてみても、着地点が定まらずに、ふらふらした言葉の連なりになる。
外気と思考とがぼやけているものだから、視覚まで曖昧で、草や土からもぱきっとした色合いが感じられない。
世界と自分の境界線すら、うすぼんやりとした日。
――などと思ってはみたものの、「うすぼんやり」という表現が合っているのかなと疑問が浮かび、調べてみることにしました。
「うすぼんやり」とは、物の形や事柄の印象がはっきりしないさま・意識や思考などの焦点が定まらないさま、という意味だそうです。
うん、合ってますね。
もうひとつの、人を指す「うすのろ」の方の意味は、ちょっと違うけれども。
「うすぼんやり」ではなく、「おぼろげ」とか「そこはかとなく」とかだったら、もう少し雅なのに残念ですが。
やっぱり、今日は「うすぼんやり」なんですよね。
ここ1ヶ月ほど、想定外の出来事もいろいろあったし。
季節か気温差か年齢か、疲れやすくて眠たいことも多いし。
読書もゆっくり楽しめていないし、絵を描いてみる気力もなかなか出てこない。
久しぶりに会ったカウンセラーさんにも「前と比べて、元気が落ちてる感じがしますよ?」と心配されるぐらいなので。
最近の私は、たぶん目に見えてうすぼんやりしているのだろうと思います。
ちょうど、SNSに流れてきた「天職の見つけ方」の著者のコラムで、「うつと焼肉」の話を読みました。
僕は焼肉が大好きだけれど、風邪をひいたときは消化のよいうどんやおかゆがいい。
だけど、風邪のときに焼肉を食べたくないからと言って、僕が焼肉を好きではないことにはならない。
「昔好きだったことを楽しめなくなった」のも、実はそんなに好きではなかったとか飽きたとかではなく、「今は体や心が疲れていて楽しめない状態」なのかもしれない。
要約するとそんな内容で、なるほどと合点がいきました。
つまりは、充電期間なのかもしれません。
焦らず、ゆっくりいくことにします。
季節がいつかは鮮烈な日差しの夏を迎えるように、また元気が満ちてくるだろうから。