思春期の頃から男性が苦手な著者が、「男の人に対して自然体でいられないのはなぜなんだろう?」と考えてみた、コミックエッセイです。
女ならではの生きづらさ、男ならではの生きづらさを知る中で、「対等で心地よいコミュニケーションの形」が見えてきます。
私は水谷さんとはまた違う、「付き合い方がわからない」です。
対等な恋愛、深い人間関係に憧れる一方で、「男って結局、こういうのが好きなんでしょ」と、ずっとテンプレートを演じようとしてきました。
婚活中の著者が、
演じ切れないのに「女らしさ」にとらわれて演じてしまう
結局男から「女として」も評価されたい思いをぬぐえない
そう感じていたのと、似ています。
何となく「男に逆らってはいけない、逆らえない」「気に入られなければいけない」という固定観念がありました。
家庭環境や学校環境によるものなのか、思春期に触れた男性向けメディアの刷り込みなのか、実際に出会った男性の影響なのかはわかりませんが。
今ようやく楽になったと感じるのは、「男」という生き物と向き合う必要が減ったからかな。
必死に恋愛したり、男社会に飛び込んだりする必要のない生活だから、ですね。
性暴力を受けた方のお話のところで、
(触られても減るもんじゃないという言葉に対して)
減る。何かが、確実に。
一方的に触られると、感覚的に自分のからだが取れていく。
からだが自分のものじゃなくなって、大事なものではなくなっていく。
と言っていたのが、じわりと実感を伴って染みました。
痴漢とか、心から合意できないセックスとか、いじめとか暴力とか。
自分と相手の心と体を大事にできないことが、どれだけの苦しみを生んでいるのだろうと考えると、子どもたちにしっかり伝えていかなくちゃ、と思います。
「夫は異星人だ」
後半、水谷さんは夫婦関係の中で、こう言います。
わかり合おうと一体化するのは苦しいけど
それぞれの違いを知るのは楽しい
確かに!
恋愛に夢中な時期はわからなかったけれど、結婚して暮らしを共にすると、まさにそう。
夫婦だけじゃなくて、親子関係でも同じかもしれません。
お互いを知ると、コミュニケーションの塩梅がわかってきます。
女性の生きづらさで共感したのは、
- 娘が女になることを嫌がる母親
- 男尊女卑の社会の、女性の性欲の否定
- 生理があるから、自分の体は自分でコントロールできない感覚
男性の生きづらさでうなずいたのは、
- 友達であっても「競争相手」
- 小さな頃から期待され感情を封じ込められていて、自分の感情を大事にできない=「困って」ないし「相談」もできない
- 他人や自分の体の変化に鈍感で、意志で何でもコントロールできると思いがち
そして、著者が感じてきた、「男女平等」と言いながらも男が考える働き方しかない会社、男が育児に参加するのを阻む社会。
社会として、男という一括りの生物として捉えると、理解しがたいところも、厳しい面もあるけれど。
ある男性を前に、水谷さんが「自分の弱さを知っている男の人の笑顔はいいな」と思ったように。
「男だから」「女だから」ではなく、それらの性の特徴を持った個々として向き合っていけば、対等な関係になれるような気がしました。
その人間同士の付き合いが、
私も、自分の感情に注目している男の人とは楽に話せる
男が安心して自分の感情を受け止められる環境になれば、女の苦しみも減るのかもしれない
性ゆえの苦しみではなくて、喜びや幸せを感じる社会に繋がればいいな。