消えたママ友(野原広子)

不穏な表紙(笑)。

もしも、自分が「消えられた」立場になっても、私は「ママ友としての彼女」しか知らないし。

逆に、私が「消える」方になっても、その理由を正確に語れるママ友はいないだろう。

だからこそ、どきりとさせられます。

春、友、ヨリ、有紀の持っている闇は、程度の差はあれど、私にもあるもので。

死にたいとか、不幸だとかいうわけじゃないけど、澱のようなものが自分の底にあるのはわかるから。

何となくの不満やストレスを、ときには発散させたり、そもそも感じないようにしていたりするのだけれど、確実にある「闇」なんですよね。

あとがきに書かれていた、

妻は、現実から逃げ出したいという、うっすらとした欲求がある

これ、まさに的を射ていると思います。

有紀ちゃんのように、本当に逃げ出すわけではなくても。

何となくスマホを眺めてしまうことも、ママ友とのおしゃべりに没頭することも、そのうっすらとした欲求に根ざしているなら、納得です。

おもしろ深い漫画でした。

それにしても、「ママ友」って不思議な存在です。

救われもするし悩まされもするのは、どんな相手でも同じはずなのに、子どもが関わるからなのか、何かが違う。

言葉やイメージだけが一人歩きをしている節もありますが、その括りが独特の空気で。

「自分は全然変わっていないような気がするのに、いつの間にか歳をとっていた」と気がついて、ほうっと息が漏れるときの感じに似ています。

渦中にいるのに、他人事みたい。

自分のことじゃないのに、私のことみたい。

野原広子さんを読むと、そんな隙間を見事に突かれます。

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