娘が最高な話

「誰もが歪だし、どの家族も歪なんだよ」と、私は娘に言いました。

【娘が最高な話】

“どの家庭も大なり小なり、歪んでいると思うんだ。

自分が育った家庭が基準になるから、特に当事者は気づきにくいけど。”

…という話の流れで、母から娘に、3つのことを伝えました。

①自分の視点で、見る。

私と旦那さんが作るこの家庭も、違う価値観や違う視点から見たら、こんなおかしさがあって。

父方の実家はこうで、母方の実家はこうで…と。

どれも正しくはなくて、それぞれが正しいと思う形に、歪んでるなって思うんですよね。

私は、自分が育った家庭や作った家庭に対しては、客観的な視点が足りていないから、

娘の視点で見て、考えていってほしいのです。 

②主観以外の視点も、持とうとする。

私が有害な親になるとしたら、目に見えるネグレクトや虐待ではなく、

「子どものためを思って」が暴走するタイプだと思っています…。

それも、教育や健康などの、わかりやすいものじゃなくて、

「心配ゆえの先取りしすぎ」タイプだろうな、と。

子ども自身が苦しんでいて、社会的にもおかしいと認識されたら、いわゆる毒親になるのかもしれないけれど、

その種は誰もが持っている、愛情と隣あわせの感情でもある。

だからこそ、自分が正義でも完璧でもないことを自覚して、

自分以外の視点から見ようとする努力をしよう、と考えています。

③私の弱さ。

私は間違ったことも、いけないことも、たくさんしてきたけれど。

それがあって今の自分だから、後悔はないけれども。

ただ、わが子が事実を知ったときに、失望されて嫌われるのが怖い、

だから隠したい、という気持ちは、少なからずありました。

娘はもう16歳で、体も心もどんどん独り立ちしていくから、今はある程度、

「私がどう思うかは、私の自由。娘がどう思うかは、娘の自由」

と思えるようになってはいます。

また、私が母として選択したことの中で、娘を苦しめたものについては、

本当に申し訳なかったな…と、痛感しています。

そんなことを、娘に話して。

で!

私が「うちの子、最高!」って思うのが、そこで母に対しての感想や言葉じゃなくて、

「私が小さかった頃に…」「不登校になったときにさ…」

と、私の話をふまえた、娘の自分事が返ってくるところ!

#当事者意識!

「わかりにくい“育てにくい子”だったたと思う」

「自分には、こういう考えの偏りがあったから、あのときつらく感じたんだろう」

「あれが転機だった、これは依存だった」

めちゃくちゃ客観的に自分を見ているし、それでいて大きく否定してはいない。

今も不安定さはすごくあるのですが、危うさではない感じ。

わが子なのだけれど、戦友のようでもあり、先輩のようでもあり。

お母さんはもう、安心して、手を離せるよ。

育てさせてくれて、ありがとう。

心から、そう思いました。

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