私が普段、学校不適応や発達障害のわが子たちをサポートしている中で、助けられている言葉を紹介します。
【私を支えてくれている言葉】
20代の頃に少しだけ、教育委員会でお仕事させていただいておりまして。
ある日、特別支援教育の研修会の資料を、印刷していたんですね。
するとその中に、こんな一節がありました。
「障害」と「障害者」
「障害」は人でなく、状況にくっつく。
もしもよい手術・よい道具・よい手段があれば、「障害のある人」は「障害のない人」になる。
たとえば、手話が使えれば話ができる。
もしも手話しか使えない世界にきたら、あなたも言葉の通じない人=「障害のある人」になるかもしれない。
これを読んで衝撃を受けて、メモさせてもらったんです。
といっても、当時はまだ、特別支援教育は自分ごとではなかったので、
ただ「素敵な考え方だな」と思っただけでした。
そうして十数年経ってから、どうやらわが子たちは、息をするようにあたり前に生きるのは難しいらしい…とわかってきて。
でも、どうしたらいいのかは、ひたすら手探りで答えがありませんでした。
発達障害もグレーゾーンと言われたけれども、家ではさして困ってはいなくて、学校に行けないだけで。
発達障害の特性も、言われてみれば…というのはあるけれど、言われてみないとわからないんです。
私はわが子しか知らないから、子どもってこんなもんなんだな、と思っていましたし。
どうしたら子どもが楽になるのか、私自身も明確に理解しにくいし、周りの人に状態を訊かれても、わかるように説明しようがないし…
社会と子どもの間で板挟みになって、苦しくて、
「いっそ、ちゃんとした病名があればいいのに」
って、しんどさから逃れたくて、短絡的になりそうだった私を助けてくれたのが、この言葉でした。
子どもから「私は発達障害っていうやつなの?」と尋ねられたときには、これを伝えました。
かかりつけの小児科の先生も、カウンセラーさんも、同じことを言います。
「今の社会の日常生活ですごく困ったら障害で、別に困らなければ障害じゃない。
必要なら、発達障害という名前をつけられるし、診断をつけられる」
目的は、子どもが生きやすい方法を見つけること。
自分で生きられる力をつけられるように、支援することです。
ラベルをつけて、個性を当てはめて、分類することではないと気づかせてくれた言葉であり、
あやふやで曖昧な日々を、支えてくれた言葉です。
まだサポート生活は続きそうですが、そんな言葉に出会えたことに感謝して、毎日を過ごしたいと思います。