最近、気がついたのですが。
“物事の細分化”が、私はどうやら、不慣れみたいです。
#そして特に結論はない日記
【私の脳が、おもしろい!】
きっかけは、行動予定の立て方の“16マスワーク”をやったときに、
私が盛大に引っかかったことでした。
#その節は大変
#マネージャーにお世話になりました
引っかかりポイントのひとつに、“1個1個の行動が大きすぎる”があって、
ああぁなるほど! となった、後日談です。
私、お家のお掃除をしていました。
苦手な家事には、基本は細切れ行動で対応しているのだけれど、
#使ったら片づけるとか
#たまる前に洗うとか
掃除を細切れにするのは、いまだにすごく下手なんですよね。
この部屋だけ、この手順だけ、というのができない。
自分のやりやすい流れがあって、順番にしていかないと、
いつまで経っても掃除が終わらない…! ってなるのです。
これは、掃除を“ストーリー”みたいに、流れで捉えているんだな、と。
掃除の細分化が、
・この棚の埃をとる
・この部屋の床を拭く
のようなタスク分けだとすると、私の脳内は、
「この部屋にぐるっとハタキをかけながら、窓を開けて換気して、この順番で床を拭いて…」
という一連のストーリーを完遂する=掃除をする。の認識。
動線ができている、とも言えるのかもしれないけれども…。
で、気がついたのです。
そういえば、家事を含めての1日の予定も、
「これをして、あれをして、その間にコレをして…」と、まず流れで認識している。
お仕事をするときも、
「○日までにこれをするなら、○日までにあれをして、その前にコレをして…」とか、
「まずこうしてああして、その次にコレ…」とか。
タスクを書き出してから並べるのでなく、並べながら書き出す感じに近いのかも。
#作家さんでいうところの
#エピソードやシーンからプロットを組み立てるんじゃなくて
#キャラクターの動きに合わせてプロットを時系列で書いていくみたいな?
だから、流れや順番がひとつでも狂うと、
その時点から、新たにストーリー=自分の行動を、脳が全部組み直す。
「あっ、コレできなかった、まあいいや飛ばそう。次いこう」じゃなくて、
「できなかったから、あそこでやろう」
「できなかったから、全体の前提を変えて、こうしよう」
という思考回路になっている。
行動だけじゃなくて、物事の理解に対しても、それがあるなと思いました。
たとえばメイクを教わるときも、部位ごとのポイントだけだと覚えられないのだけれど、
まず下地、次にファンデーション、そして眉…って、順序よく教えてもらうと、よくわかる。
ビジネス書を読むときも、物語仕立ての本のほうが、格段に理解度が高い。
良い悪いではなくて、純粋に、
なんだこれ! 私の脳、おもしろいなー!と、思った出来事でした。
#掃除しながらこんなことを考えてますw