自発的に生きる

子どもの頃は、1年経つと、学年が上がります。

クラスや先生が変わったり、学校が変わったりして、自動的に「後輩」ができて、自分は「先輩」になる。

学生時代は、それがあたり前で、1年ごとに成長している気分でした。

ところが、社会人になり、いざ就職してみると。

毎年必ず新卒社員が入ってくるような大手企業ではなかったので、1年経っても、2年経っても、いちばん若い社員のままでした。

仕事を覚えて、慣れてきてはいます。

年度末には、決算なり棚卸しなり、新年度には目標なりと、節目そのものはあります。

でも、学校生活のように、「この1年、成長した。また新しい1年だ」と、感じさせてくれるような、環境要因はないのです。

そしてまた、学生時代は、授業ひとつにしても、受け身の姿勢があまりにも多かった。

「ああ、大人になったら、自発的に生きないと、成長はないんだな」

20代前半の頃、そう痛感したのを覚えています。

仕事を辞めて育児に専念している間は、子どもの成長が、自分を測る物差しになっていました。

と同時に、子どもの大きな成長と、変わり映えしない自分とを比べて、落ち込んだものです。

私は何にもできないなあ、って。

引っ込み思案で拗ねやすい性格だって昔のままだし、家事と育児が完璧にできているわけではないし、働いてお金を稼いでくることもできない。

ないないづくしの、成長できていない私だと、ずっと思っていました。

娘と一緒に、自分を見つめる

長女は今、彼女なりの生きづらさを抱えながら、彼女なりの生き方を探しているところです。

そんな娘を育てているからこそ、私も自分を見つめる時間を持つことができました。

「何にもできない」から、「けっこうできてる」に変われたのも、そのおかげです。

特に、娘を理解して支援してくれている方々は、子どもの頃の私がほしかった言葉を、ごく自然に投げかけてくれて。

長女と一緒に、私も助けられています。

先日は、小さいときから読書が好きだったという話をしたら「すごいですよ! 素敵です」と言ってくださいました。

子ども時代は、「みんな一緒に」「元気よく遊ぶ」ことが正しくて、ひとりで本を読みたい私を、学校で認めてもらえた記憶なんてなかったけれど。

何もできないと思っていた子どもの私だって、実はちゃんと、素晴らしかったんですよね。

またひとつ「できてる」が増えました。

次は、我が子や自分の力にも、私自身がどんどん気がついていけるようになりたい、と思っています。

それが、私にとっての「自発的な生き方」に繋がっていくような気がするから。

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