言語化が好き、という感覚

朝の風が、さらりと頬をなでてゆく。
髪をかき上げて、胸を開いて、秋の空気を吸い込んだ。

稲刈りが終わったあとの田んぼも、土手に生えている黄味がかった草も、
太陽の光を浴びて、きらきらと金色に染まっている。

顔を上げれば、薄く溶けた青空が、
高く高く、どこまでも続いていて。

言葉ではないものに囲まれている、一日のはじまりは、
果てしない幸せに包まれる。

なんて美しい世界に、私は生きているんだろうかと。
この感動を、言葉で表現してゆく行為が、嬉しくてたまらない。

また、しんと静まりかえった夜、むさぼるように本を読むとき。
頭の中に、感情や風景が、滔々と流れ込んでくる。

言葉が音を立てて、絵になる。
絵が連なって、物語になる。

私が知っていて、私が知らない物事が、
言葉という媒体によって、私だけの体験になる。

言葉に囲まれている、一日のおわりは、
とめどない幸せが満ちてゆく。

なんて素晴らしい世界に、私は生きているんだろうかと。
この深層を、言葉ではない感覚に変えて体験してゆく行為が、楽しくてたまらない。

読むことと書くことが大好きだけれど、
言葉そのものに興味があるわけではなく、ビジュアルそのものに惹かれるわけではなく。

私の五感と、世界をつなぐものとしての言葉に興味があって、
言葉によって、私が選んで接続した世界を、とても愛している。

言語化が好きって、こういうことだろうか。

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