先日、定期受診をした娘が、病院の先生に語っていたこと。
やんちゃな3年生の男子から、弟を含む、1年生を助けてあげなきゃいけないから、頑張って集団下校しているんだ、という話だったのですが。
その理由が、
「だって、私みたいに学校行きたくない子が増えたら、(学校の)先生も大変だし」
そうくるか! そう考えるのかー! 思わず笑ってしまった、私と先生でしたが。
先生は、
「そうやって、周りを気遣えるのは、すごい長所だし、力だよ」
そう、言い切ってくださいました。
長女が「でも、それでしんどくなったからなあ、私…どうなんだろう、いいことなのかな」と返すと、
「周りを気遣える力は、あとから簡単につけられるものじゃないんだ。
それは、持って生まれた、大事な才能なんだよ。
大人になるにつれて、その力を、上手に調整していけるようになるんだ。
今はまだ、途中だから、こうやって周りの大人の力を借りればいいんだ」
ほら、漫画でも、最初に強い力を持ちすぎて暴走しちゃうとか、あるでしょ?
最後に例え話をつけ加えて、しっかり伝えてくださるのを聞いて、はっとしました。
私は、こんなふうに、娘に言い切ってあげたこと、あったかな…?
あなたは素敵だよ。
娘の長所を認めているし、伸ばしたいし、彼女が悩んでいるときに「それはあなたのいいところだよ」とは、伝えてきたと思います。
でも。
「だけど、周りから見たら、こうなのかもしれないね」
視野を広げてほしくて、こんなふうに、違った角度からの考え方も、一緒に伝えてきたことに、気がつきました。
娘を否定しているつもりは、まったくありませんでした。
いろんな人がいて、いろんな価値観があって、その中で長所を伸ばしてほしいという願いを込めて、話していたつもりでした。
けれどそれは、常に長所とワンセットにして、語るべきことだっただろうか。
自分で自分のよさを認めきれていないとき、先生のように「それはいいところだよ」と、断言するだけでよかったのではないだろうか。
私は何があっても、娘の味方でいる、と決めていますが。
それならば、心から長所を認めて、受け入れる言葉だけを、しっかりかけてあげたらよかったのではないかと、気づかされたのです。
客観的な考えや、違う視点の話は、その次の段階のことで。
まずは娘が、自分自身を好きになれるような言葉を、たくさんかけていく方が、大切なことなんじゃないか、と思いました。
あなたは素敵だよ、という、言葉のシャワーを贈ることが。
八方美人の私
さらに考えてみれば。
客観的な視点だとか、違う価値観だとか、確かにそれを想像したり理解したりする力は、大切なものです。
でも、私が娘に話す背景には、自分の「揉め事が嫌い」「嫌われるのが嫌い」という気持ちが、あったような気がします。
だから、こんな考え方もあるし、あんな考え方もあるし…と、ただ伝えるだけで「お母さんは、こう思うよ」という芯が足りなかった。
長女との会話だけでなく、私は普段から、いつもそうです。
表立って対立しないように、ふわふわ生きている。
ことさらに荒立てる必要はないけれど、自分の意思は大切に持ち続けなければならないし、周囲と対立しても伝えなければならないときはあるんですよね。
言葉にすれば、あたり前にわかっていたことなのに、ちっとも実践できていませんでした。
気づかせてくれて、ありがとう。
「何があっても、味方だよ。今のあなたが、大好きだよ」
娘にも息子にも、これからもっと、伝えていきます。