私の普段のアウトプットは、このブログでの文章が主です。
もともとは、行き詰まっていたときに、カウンセラーさんに、
「とりあえず自分の好きなことを100個書き出してやってみて? それを記録に残すと、なおいいよ!」
と言ってもらって、自分のために書き始めました。
Facebookに文章の投稿を始めたのは、数秘術対談の後からなので、最近です。
それも最初は、やはり人の目が気になって、こちらでアウトプットして噛み砕いていたことの上澄みを綴っていました。
要するに、良くも悪くも整えられていたんです。
でもこの間、プペルバレエの関さん×タムココサロンオーナーの田村さんのZoom対談を聴いて、初めて感じたままをすぐにFacebookに残したことがありました。
感情のままに書く機会に乗っかれたのも、しゃべる練習を始めたのが大きかったと思うんです。
で、整っていなくても、ちゃんと読んでくれる人がいて、ちゃんと誰かに届いていて、繋がっていくんだなって実感しました。
未完成な自分を見せるのが、すごく苦手だったのだけれど、それでもそのまま私として生きていていいんだなって。
大げさかもしれませんが、ほんとにそう思いました。
私は昔、小説家になりたくて、作品投稿もしていました。
まだインターネットが一般的ではなかった時代です。
新人賞や投稿雑誌に、渾身の作品を応募しても、選考外だったらリアクションひとつこないわけです。
かろうじて一次選考を通っても、小さく名前が出れば奇跡のようなもので。
でも、それでようやく、誰かに届きはしたんだな、と感じられる時代でした。
だから、今のSNSってすごいです!
荒削りな文章も、拙いおしゃべりも、読んで聞いてくださる方がいて、本当にありがたい。
こんなふうに、発信も受信も気軽にできる時代になったからこそ、
SNSの技術は、誰かを不幸にしたり憎しみを煽ったりするためじゃなくて、受け取った人が幸せな気持ちになってもらえるように使いたいです。
たぶん、私が小説家になりたかったのも、原点はそこだと思うんですね。
自分がつらいとき苦しいとき、救われたのは本だったから。
私も同じように、見知らぬ誰かに対して、
「私はここにいるよ」
「ひとりじゃないよ」
「大丈夫だよ」
って伝えたかったんだろうな、って。
会ったこともない人の言葉や物語に、自分が救われたように。
私の言葉が、世界のどこかでギリギリ踏ん張っている誰かに届いて、ほんの少しでも元気が出たり、何かしらの寄り添いで気持ちを和らげたり、こんな奴でも楽しく生きてるんだなと安心してもらったり…今を生きる力になったらいいな。
だから、小説から個人的な日記に形は変わっても、発信の原点は変わらないし、どん底に落ちたときも、回復するまでをセットで、ちゃんと書いていきたいです。
そして、これはFacebook投稿を始めたときから、心がけていたことなのですが。
むしろ日記であるからには、身だしなみ的なマナー以上には自分を飾りたくないし、嘘もつきたくない。
自分以外の何者かになろうとしたくない。
書いているうちにのめり込んで、空想世界にトリップしやすい私の、自戒を込めて記しておきます。