気配りの人になる

もしかして私、昔よりも気を遣えるようになったかもしれません。

カウンセラーさんなどには、数年前から「周りに気を遣っていますね」と言われていましたが、自覚はなかったんです。

10代20代の頃の、周りが見えていない自己本位なところは、未だ健在だと思うし。

飲み会や親睦会などの集まりで、話題を振ったりお酒を注いだり、気の利いた立ち回りはできないままだし。

それでいて、他人にどう思われているかや、ささいな言葉は気になってしまう。

私にとって「気を遣う」というのは「気配り」であって、「気にしすぎる」のは別物だったのです。

けれど最近、気にしすぎるがゆえに、気遣いができたのではないかな、と思うことが何度かありました。

たとえば、親族の集まりの場がスムーズに動くように、ペースがゆっくりな高齢者のフォローに回ったり。

初対面の若いお母さんたちが安心できるような接し方を心がけて、親子の様子に目を配ったり。

気配り名人とは言えないまでも、ほかの人があまり意識しないような部分に寄り添えたかもしれない。

私の動きは、あってもなくても困らないし、場が回らないわけでもないけれど。

その気遣いで、ほんの少しだけ、気持ちよく過ごせる人が増えたんじゃないか、と。

実際に、その後は体力を消耗したり、気疲れしたりするときもあって、バランスはまだうまくとれていないのですが(笑)。

自身の欠点として捉えていた「気にしすぎる」が、「気遣い」という力になってきている。

そう思えるようになったのは、きっと人生経験が増えたからでしょう。

「気になるけれど、どうしていいかわからない」から、いろんな場面を見聞きして体験して、「気になるからこうしてみよう」「こんなときはこうしたらいいんだ」という判断力も育ってきたからこそ。

何より、欠点が力になりつつあることを自覚できたのが、ひとつの成長です。

自分と他人の境界線をきちんと保った上で、これからは「気配りの人」になりたいです。

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