目立ちたくない、の裏側

子どもたちから小学校での話を聞いたり、

授業参観の様子や、世の先生方の発信を見聞きしたりして、

“個の教育”を、感じています。

【目立ちたくない、の裏側】

集団も、もちろんあるのだけれど、その中で“個”を伸ばす方向性を。

いろんな場面で、人前に立つ、リーダーになる機会が、

私の子ども時代よりも、増えているなあと。

#運動会の全員リレーとかもそうかな

#代表が競うのではなく

#全員を当事者にしている

ただいま小3の次男は、授業で手を挙げるのは、嫌なタイプ。

休み時間も、活発なリーダー的存在、では決してなさそうなのですが、

自分の係の仕事では、ちゃんと人前に立って、話している様子です。

#私はそれができなかった子!

#みんなすごいなあと思う

私、小学校後半〜中学校あたりは、とにかく目立つのが嫌だったんですよね。

視線を感じると、萎縮してしまうことが多くて。

今ふり返ると、なんでそんなに? というぐらい、

目立ちたくない、目立ちたくない!

と思って過ごしていたんだけれど。

もしかして、それって、裏を返せば、

「何かしたら、目立つ」という才能があったのでは?

で、ちょっと記憶を掘り起こしてみたんだけれど、

・わりと授業中の内職がバレる。

・優等生でも問題児でもないけど、廊下で先生に声をかけられることが多かった気がする。

・そんなに目立ったことはしていないわりに、気にかけてくれる先輩が多かった気がする。

…ぐらいしか出てきませんでした。

#いまいちわからないままだw

でも、頭の引き出しを探ってみて、こう思いましたね。

“当時の私が、もしも「目立ちたくない」とうつむかずに、もっと顔を上げて、交流していたなら、

周りの人の愛情や優しさに、もっと早く気づけたかもしれない”

って。

思春期に、悲劇のヒロインになろうと、ひねくれなくても生きていけた気がするな。

自分からコミュニケーションをとるのは、やっぱり愛だし、思いやりなんだな。って。

子どもたちには、ぜひ早いうちに顔を上げて、周りを見て、社会の優しさに触れてほしい。

もちろん私も、顔を上げて、周りにいてくれる人たちと、交流しよう。

そう、思ったのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする