海辺の田舎町で、高校生・中学生・小学生、3人の子どものお母さんをしています。
【私が、やってみたかっただけ】
今が穏やかすぎて、すっかり昔を忘れている私ですが。
子育てを含む家庭環境や、今までに起こった出来事について、
「大変だね」と言われることもあるぐらいには、大変だったと感じていたこともある…のかな?
#喉元過ぎれば何とやら
私の「大変だった」「しんどかった」を強めていた原因は、
「母親ならこうあるべき」「妻ならこうするべき」のような、思い込みなのだろう…と、思っていた。
のだけれど。
“なんか違う”感覚があった理由が、最近やっとわかってきました。
私が「こんなふうに素敵なお母さん」「あんなふうに可愛くて健気な妻」を、
やってみたかっただけなんです!
漫画の主人公のように恋をしてみたい、冒険譚の主人公のように旅をしてみたい、
それとまったく同じ理屈で。
親世代から教えられた母親像、男性から教えられた妻像が描くストーリーを、
私が“やってみたかった”。それだけ。
だから、自分で勝手に、大変な設定にすることもあるんだけど、
これ以上やったら、母親や妻をやりたいという、本来の目的から逸れてしまうラインは超えない。
しんどいけど、生命の危機にはならないし、こっちじゃないと思ったら、方向転換する。
#体験したくない脚本は投げ捨ててる
「物語の主人公になりたい」のと一緒で。
ただただ、体験してみたかったんだなあ、私。――って、腑に落ちました。
#数秘術でもヒューマンデザインでもヒューマンズタイプでも
#体験と没頭が大事な私
#こういうことか!?
自分がやってみたくて、やってきたから、特に後悔もなく。
本を読む感覚での「体験したい」だから、本を閉じれば、詳細は過去になる。
最終的には、よかったな。の読後感しか、残っていないw
で、ちゃんと「やってみたかった」を満たしてる。
#今は母らしくも妻らしくもないと娘に言われてますが
#らしく物語はもう満足したから
#次のストーリーに行こうとしてるのでしょう
なんて平和な人生を歩んでいるんだろうなあ。
そう思ったら、過去にも現在にも、未来にも、感謝が湧き上がってきました。
今日もありがとうございます✨