苦手を作り出していたのは、私自身だった。

義家族の話を聞いていて、疲れたなあと思うことがありました。
胸から喉のあたりが、ぎゅうっと縮こまって、息が詰まる気分になったんです。

会話の何に、そんなに疲れたんだろうかと、ふり返ってみると。
人に対して「○○せなあかん」という言葉が、私は苦手みたい。

「親が○○しないとだめ」
「この子が○○しないといけない」
「先生が○○しなくちゃね」
のような。

自分で、自分に対して「あれをしなければ、これをしなければ」と言っているのは、いいんです。
本人が苦しくないなら、それで。
でも、他者に対して言うのは、苦手。

ここで、ひとつ疑問が生まれます。
職場の先輩に、仕事で「○○しなきゃ」って言われても、
私、まったく平気なんです。

なにが違うのか。

確かに、義家族と比べて、職場の先輩のほうが、頻度は少ない。
他人という礼儀があるぶん、口調もやさしい。
仕事に向きあっているときと、家でくつろいでいるときとは、私の気分も違います。

だけど、それらを差し引いても、義家族との会話に、苦手意識が出てしまったのは。
私が勝手に、相手と上下関係を作っているからだ、と思いました。

職場の先輩は、先輩だけれど、フラットなんですよね。
敬語で話していても、仕事を教わっていても、同じ対等な人間同士という感覚が強い。

義家族に対しては、昔からの関係で、気を遣うことや遠慮することが多くて、
私の中で、無意識に「義家族を立てなければ、問題が大きくなるぞ」という気持ちがあるなあって。

これも、○○しなければ、ですね。
自身に対する、長年の思い込み。

自分の中にある、勝手に作りあげた上下関係を、
この会話の疲れが、教えてくれたような気がしました。

ひとつ成長したな。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする