一日の終わり。
ふうっ、と一息ついて開く、スマホまたは本。
そこには文章があります。
文章があると、うっかり読みます。
物理的に、目や腕がつらくなるまでは、読めます。
同じ「文章を読む」という行為であるのに、
スマホで眺めるSNSや漫画は「ああ夜更かししてしまった…」と思い、
本を開く夜長の読書は「はあ満足! よし寝よう!」と思います。
なんだろう、この罪悪感と満足感の両極端は。
スマホは、受動的で拡散的な「読む」だからかなあ。
スクロールする前に、ちょっと下にある別の文章が見えたり、
望まなくても自動的におすすめされる機能があったり。
本は、私が取りにいって開かないと、文章が入ってこない。
自分で別の本を開かないかぎり、勝手に違う物語に進むこともない。
能動的で収束的な「読む」感覚があります。
以前に書いた、この違いもありますね。
感情の揺れにも、拡散と収束は共通している気がする。
なるほど、私は「読む」という行為に、
自分が働きかけること。ひとつのものに集中すること。
を、求めているんだな。
