昨日は、娘の高校の入学式でした。
【あたり前の、幸せ】
長女は、義務教育の半分以上を、学校不適応で過ごしていました。
学校行事や式典に参加することは、とてもハードルが高かっただけに、
制服を着て、ほかの新入生と一緒にそこに並んでいるだけで…、
そこに存在しているというだけで、涙が出るほど嬉しかったです。
でも、私がそう感じるのは、
「学校は行っても行かなくてもいいよ」と言いながら、
心の奥底では「みんなと同じように過ごせたらなあ…」という思いを捨てきれていなかったからなのか。
それとも、娘自身が環境にも友だちにも恵まれていた中で、
「何も考えずに感じずに、普通に行けるなら、みんなと同じように行きたい。それができないから、苦しい」
というタイプの、学校不適応だったからなのか。
この私の感動が、親のエゴからくるものではない、とは言い切れませんが。
何にせよ、わが家では、学校に行くことが普通ではなかったから、
こうしてただ制服を着て、校内に立っているだけで、本当に嬉しくて泣けてくるんです。
幸せのハードルが低いって、幸せだなあと思います。
それを私に教えてくれたのは、ほかでもない子どもたちです。
たとえば、生まれたばかりの頃に、24時間赤ちゃんの対応をする体験ができたからこそ、
座ってごはんが食べられる、温かいお茶を温かいうちに飲める、という幸せがわかったわけで。
一時期は生きるか死ぬかぐらいに、精神的にきつかった娘を見てきたからこそ、今生きているのが嬉しいわけで。
私があたり前だと思っていたことは、どれもあたり前じゃないんだよ。
って教えてくれた子どもたちには、本当に感謝しています。
あたり前のことを、幸せだと感じられる気持ちは、忘れたくないなと思います。