ここ数日、傾聴というものに触れてみて、気づいたことのまとめです。
【私の目指す場所】
傾聴って、言葉だけだと、受け身なイメージがあったのですが。
実際に場を体験してみると、
「共感」「あいづち」「興味」「質問」「要約」「自己開示」「伏線回収」etc…
いろいろな手段を的確に使って、周りにそうと悟らせずに、その場を掌握する、
すごく能動的なものなんだな、と感じました。
で、「傾聴」に興味が出てきて、私もそんな技術を身につけたいと思ったのですが、どうにも学びがふわふわしている。
それは、前段階がきちんと固まっていなかったからだ、と気がつきました。
「聴くことは、手段であって、目的ではない」というところです。
話をきちんと聴けるようになって、私はどうなりたいのか?
傾聴の技術を身につけた先に、何を描いているのか?
まず、そこを考えるべきだった!
#話す練習も同じ
#話せるようになってどうなりたいのか
#はっきりと描いていなかった
で、改めて、向き合ってみました。
筋道を立てて考えると、
私は、自分と自分に関わった人には、温かさや心地よさや、幸せを感じてほしい。
それにはコミュニケーションが大事である。
聴くことも話すことも、読むことも書くことも、感じることも考えることも必要になる。
コミュニケーション力を上げるために、私がいま特に弱い「聴く」「話す」を身につけたい。
だから、傾聴練習と、おしゃべり練習に興味がある!
もっと感覚的なところで言うと、「私」というものを、より的確に表現したい。
耳も、声も、表情も。話し言葉も、書き言葉も。
余すことなく「私」という音色を奏でるための、楽器のようなものだから、
楽器を手にしているなら、使えるようになりたいよね。という気持ちです。
#演劇とボーカルトレーニングにハマっていた理由がわかったかも
#楽器の性能向上に特化してるからだ!
つまり、セミナー講師や講演家のような「広さ」や、カウンセラーのような「深さ」の専門性を目指しているわけではなく。
自分と目の前の人が、いかにお互いに心地よく繋がっていけるか?
これが、私の今の目的なんですね。
目指したい場所が見えたところで、「私」という車は、
まず「考える」「書く」「聴く」「話す」トレーニングの四輪駆動で、進んでみようと思います。