“ときめく片づけ”の、こんまりさん
こと近藤麻理恵さんの、こんな言葉を読みました。
「人から何か言われて傷つくときって、
自分の中でも自信がなかったり、
自分の価値を認められずにいたりするもの。」
【私のいちばん自信がないもの】
それで、最近いちばん傷ついたのは、何だったかなあ…と考えてみたら、
“子どもの発達障害や不登校は、親のせいだと言われたとき”でした。
#あんたのせいだと怒られた
#学校より職場より長いお説教タイム到来w
確かに、子どもからはたくさんの学びと気づきをもらっているから、
そのために子どもたちが私を選んで、生まれてきてくれたと考えたら、
ある意味では「親のせい」とは言えなくもないけれど。
今回の場合は、そういう思いで投げられた言葉ではなく、
子どもの今までの頑張りを知ろうともせずに、全部引っかき回して否定されたから、傷ついたんですよね。
じゃあ、私はそのとき、いったい何に対して、
「価値がない」「自信がない」って、感じていたんだろう?
ちゃんと子育てできない自分?
「みんなと同じに」学校に通えない子ども?
それで傷つくターンは、もうとっくの昔に過ぎているなあ。
子ども自身から、私の家族としてのあり方を否定されたら、悲しいとは思うけれど。
他人から何か言われたところで、私の周りにいてくれる人たちの価値は、変わらないしなあ。
ということは、私自身の弱さの方向に、何かがあるのか。
――って、どんどん心の襞をめくっていったら、
「なぜ、あなたにそんなことを言われなければならないのか!」
「子どもが積み重ねてきた毎日を、否定しないで!」
という、怒りが出てきました。
だけど、私は、相手にそう言い返せなかったんですね。
理不尽だと思いながら、ただ黙って、受け流すしかできなかった。
“立ち向かえない私”
が、自信がなくて、価値を認められない部分だったのかもしれないな…って思いました。
#言い返せないんだけど
#納得いくまで折れないから
#泣きながらにらみ返すタイプ
#お説教を長引かせがちな子どもでしたw
だからどうして生きていこうとか、明確な答えは、まだないけれども。
心の奥底に、わあわあ泣きながら立ちつくす私がいたので、
今日は、ぎゅっと抱きしめてあげることにします。