【エッセイ】濁った表現

「ぴったりとうまく表現が出てこないからさ。
濁った表現になるんだよな」

ある日の旦那さまとの会話で、彼が言った。

濁った表現。

その表現が、なんだかいいなと思った。

自分の伝えたい気持ち。感情。感覚。
体はわかっているのに、言葉にしようと思うと、ぴたりとくるものを見つけられない。

だから、自分の思いつく範囲で、表現する。
だけど、それには少しのズレや、ニュアンスの違いがあって、正確には伝えられない。

旦那さまは、文章化するのが得意ではない。
言葉を、というより、表現を見つけるのが苦手らしい。

しかし私は、とろとろと雑味が混じりあう、うすぼんやりと世に放たれる伝達を、
「濁った表現」と表現する彼の感性が、とてもいいな。と思ったのだ。

ならば、ぴたりとまっすぐに伝わってくる表現は、透明なのだろうか。
私の文章を「透明感がある」と喜んでくれたひとは、
何かがまっすぐに伝わった、と感じてくれたのだろうか。

ぴんと張った楽器の弦のように、私の心の震えたものごとが、
読んでくれたひとの心に共鳴して、美しく響いたら、とても嬉しい。

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