文章を書く。
それは、自分を調律すること。
私の大好きな、日本橋ヨヲコさんの漫画
『G戦場ヘヴンズドア』に、こんなセリフがあった。
“オレ達は、わかりたいんだよ。自分のこと。
自分のくるったとこ、描いて治してんだ。”
昔は、その感覚がわからなかった。
自分じゃない何者かになりたくて、文章を書いていた頃は。
今は、自分になるために、自分であるために、書いている。
だから、このセリフが、たぶんわかるようになった。
私であるための、文章を書くとき。
どこまでも自分に向きあい、目をそらさず、耳をすませて。
「この私」をあらわす言葉を、ひたすら探し続ける。
ひとつ確かな音をとらえた、と思っても、またすぐに次の私があらわれる。
永遠に終わりのない、調律。
それは一見、絶望で。
けれども実は、未来を知らない、希望でもある。
私が探り当てた、たったひとつの音は、何かを見つける手がかりになるのかもしれない。
その言葉が、過去か未来か、私かあなたか、見知らぬ人か、どこかにつながるのかもしれない。
終わりのない調律を、今日も続ける。
満ち足りた、ほほえみで。