反抗期とのおつきあい

娘はただいま中学2年生。

激しい反抗期とまではいかないのですが、思春期女子らしく、わざと意固地になってみたり、不機嫌そうな空気を漂わせたりすることがあります。

対して、怒られるのが嫌いな私は、険悪な雰囲気が大の苦手。

自分が当事者の場合はもちろんだけれど、たとえば旦那さんに子どもが反発して叱られているような、身の置きどころがない空気の中にいるのも嫌なんです。

自戒でもありますが、イライラをまき散らす人の近くにいるのはつらい。

家では穏やかに過ごしたい。

でも、家族だからって、いつも仲良く通じ合うわけではないことも、当然わかっています。

自分の思春期をふり返っても、父や母に常に不機嫌を振りまいていたような気がするし…。

我が子とはいえ、毎日イラついている人間の相手をするのはつらかっただろうなと、両親に申し訳なくなるぐらいです。

そんな反抗期と、どうつきあっていけばいいのかなあと、最近考えていました。

兄弟喧嘩を止めたいときや、必要以上に怒りすぎそうなときは、わざとおちゃらけてみます。

険悪な空気の中で過ごすぐらいなら、笑いに変えられるものは、自分が道化役になってしまえば楽だから。

でも、そうやってごまかしたり、機嫌をとったりするのは、違う。

思春期の反発の受け止め方ではないな、と思うんです。

コミュニケーションの基本ですが、お互い別の人間なのだと理解した上で、相手の気持ちは受け止める・自分の気持ちは伝えることでしょうか。

自身の心持ちとしては、アドラー心理学の課題の分離を実践しつつ、共存していくイメージですね。

また、最近長女に伝えたことですが。

「思春期だから」は、受け手の大人がそう思うのはいい。

だけど子ども本人が、

「私は思春期だから言うことを聞けなくても仕方ない」「思春期だからイライラしていて当然」

と、できない・やらない理由に使ってはいけない。

娘も頭ではわかっているのでしょうが、ふてくされていました(笑)。

でも、これは私にとっては、大事なことなんです。

たとえば、周りが私のことを「できない奴」「やってもムダ」と評価したとしても、私自身が「できないからやらない」と、やる前から諦める言い訳にしてはならない。

主語が逆になることもありますね。

いじめられている側に、たとえ何らかの落ち度があったのだとしても、それはいじめを正当化する理由にはならない。

世の中にはたくさんの考え方や理論があるけれど、それは決して、自分や他人を傷つけたり、放棄したりするために使うものではありません。

自分や他人を助け、生き抜く力を得るためにあるものだと信じています。

笑いで流す部分と、譲らず伝えきる部分とを見極めて、反抗期の我が子を見守ろうと思います。

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