私、いわゆる“近所のおばちゃん”になれないのです。
1年前から、変わっていないw
【そうして社会の一部になる】
よほど親しい子を除いて、あいかわらず、近所の子どもたちに、
「おはようございます」と、やや他人行儀に挨拶しています。
同世代のお母さん方のように、親しげに、
「○○ちゃーん!」と声をかけられない。
でも、この距離感が、普段の私にはちょうどいいんだなあ、と。
昔は、もっと“近所のおばちゃん”らしくありたいと考えていて。
先に紹介したエッセイを書いた頃もまだ、そちらが正解なのだろうという認識でした。
「私は正解の姿にはなれないけれど、私なりの形でやっていこう」
って気持ちを込めていた。
今は、また少し変わってきていて、
「そもそも正解も不正解もない」
と、自然に思えるようになったのです。
私なりの、人のかたち。女性のかたち。妻のかたち。母のかたち。
「普通はこうでしょ」に沿ったところも、外れたところも、
でこぼこの私で、幸せな世界を生きているんだから、
今さら、いかにもな“近所のおばちゃん”に、なろうとしなくてもいいな。
って、腑に落ちた。
#そもそもならなきゃと思ったのは
#子どもの安全地帯はたくさんあったほうがいいなと
#子育てして感じたから
子どもにとっては、まず、
「名前は知らないんだけど、いつも『おはようございます』って言ってくれる人がいる」
「確か○○ちゃんのお母さん」
ぐらいの認識があったら。
もしも心配なときに、声をかけさせてもらっても、不審者にはなるまいw
そうして、子どもが育つ社会の一部になろう。
というのが、現在の立ち位置です。