この世界には、名前のない苦しさがあることを知っています。
最近、長男が学校に行けない理由を、あちこちから訊ねられました。
いろんな要因があるのは感じるけれど、明確にこれだ! とはわかりません。
むしろ、私がいちばん知りたいです。
わかっていれば、すでに対応しているよ。と言いたい(笑)。
わからないからこそ寄り添っているわけだし、周囲の心配からくる疑問も、当然のことなのですが。
あまりに訊かれると、それだけで私も消耗してしまいます…。
そんな心境を、長女に話したら、こんな返事が。
当事者の声
なんで学校に行けないか、行きたくないかなんて、親の都合とか何も考えなければ、正直言いたくはないよ。
自分を客観的に見られなかったら、言葉にはできないし。
本人もしんどくて、それどころじゃなくて、なんでって聞かれてもわからないんだよ。
娘は、学校に行きづらくなって4年が経ちます。
昔から読書好きだったのもあって、語彙は豊富でしたし、成長した今は、言語化する力も高い方です。
そんな彼女をもってしても、
今こうして、言葉を選んでしぼり出して話しているけど、それでも表現できるのは7割ぐらいだよ。
そのときのしんどさを、100%表現することはできない。
――なのだそうです。
長女でその状態なら、渦中にいて成長する前の長男は、どれほど言葉にならない苦しさを抱えているのか…。
言語化する力は、生きていく上で必要だし、大切なものだけれど。
人生には、言葉では語れない感情も、絶対にあって。
言葉にならないもの、名前のない気持ちを、言葉にしないまま持っていられる場所があったら、ずいぶん救われるのではないかと思います。