愛されている証拠しかない

やりたいことを「やりたい」って言ったら、

世界は優しくて、私は愛されているんだとわかった。

そんなお話。

【愛されている証拠しかない】

先週末は、ファッションコンサルタント・ハセミキさんと、アウトレットで着倒しツアーをしてきたのです。

#そちらもまた改めて書きます

#楽しかった!

旦那さんに、朝から片道2時間ぐらいかけて、車で送ってもらい、

おこづかいと、1日フリータイムの自由時間をもらい。

「せっかく来たんだから、何か買えば?」

と、ハセミキさんセレクトの一品の、バッグを買ってもらい、

ジュースも買ってもらい、夜ごはんもごちそうしてもらい。

#神様!

「ありがとう」とともに、私が思ったのは、

“昔から、ちゃんと愛されてるじゃないか。私が見ていなかっただけで。”

でした。

着倒しツアーに行きたい。あそこのジュースが飲みたい。夜ごはんはこれが食べたい。

昔は、旦那さんに対して、こういう自分の「やりたい」「ほしい」を伝えるのに、

申し訳ないかな…悪いかな…ダメだよね…

な気持ちを、ずっと謎に持っていて。

「いやいやもちろん、無理だったらいいんだけど、もしよかったらご検討をいただけると…」

みたいなスタンスで、会話していたのです。

#叶わなかったときに傷つかなくてすむから

#旦那さんをまったく信用してない話し方

でも、普通に「行きたいな」「やりたいな」って口に出してみたら、普通に「いいよ」って、返ってくるんですよね。

で、思い返せば、昔の私は、

日常のささやかなことに、旦那さんが寄り添ってくれないのが不満で、

だから「どうせダメだよね」「叶わないよね」と、勝手に感じていたけれど。

たとえばお出かけしたときは、今と変わらず、私に対して、

「せっかくだから、やりたいことを」「ほしいものを」「好きなことを」

の姿勢で、ずっといてくれていた。

子育ての大きな局面では、いつも、私がどうしたいのかを、いちばんに訊いてくれていた。

なのに、私が日々の細やかな不足不満しか見ていなかったから、自分の望む以外の形の愛は、まったく受け取れていなかった。

#ごめんなさいの平謝り案件

ちょっとずつ余裕ができたり、違う視点をインストールできたり、

自分の視界が変わって、世界のあり方が変わったんだな。

#世界そのものは変わらないけど

#見る場所を選べるようになった

というのを、実感する日々です。

ちなみに旦那さんは、娘に「loveとlikeの違いって何やろ?」と訊かれて、

「自分を犠牲にできる。…って言い切ると語弊があるけど、それがいちばん近いかな」

即答してたので、

ああ、この人は、何があっても家族を守る人なんだろうな。

と思ったし、

だからこそ、私があなたを大切にしよう。

とも、改めて決意しました。

そして娘は、オンラインであれこれやり始めた母に、

「いやー、よかったわ! お母さん、家事と育児と介護だけだと辛いだろって、心配だったんだよね!」と笑って。

うわぁzoomに遅れる! って、慌てて出した手抜きごはんを食べ、

「あと、やっとくし」と、洗濯物を干してくれるのでした。

#優しすぎる

#神娘

それだけ家族に愛してもらっていて、私が変に遠慮するのは、違うので!

「ありがとう」で受け取って、返していきたいなと思います。

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