味わいきった感情は、自分の心の本棚に、きちんと収納できるんだな。
と、実感したお話です。
【感情を味わいきると】
もやもやと、悲しい気持ちになる出来事がありました。
私は、ひとつの出来事で感情が刺激されると、
同じ感情を味わった記憶が、ずるずると芋づる式に出てくるタイプです。
#藪をつつくと蛇が出るのです
昔はその自覚がなくて、まさに“感情に振り回される”状態でした。
目を閉じて、ジェットコースターに乗っているみたいな、先の見えない激しさ。
「私は、別の出来事の感情を、自動的に引っ張り出して、混同する癖がある」
と自覚してからは、振り回されることは減りました。
そのとき、心の中で何をしていたかというと。
芋づる式に出てきたものだと気づいたら、ぷちんと茎を切って、
今起きている出来事と感情だけに、集中しようとすること。です。
#切らないと振り回されると思っているから
でも、今回、ちょっと違う選択をしてみました。
ずるずると出てきた「あんな悲しいこともあった」「こんな悲しいこともあった」を、
ひとつずつ「そうだなあ、悲しかったなあ」と、味わうことにしたのです。
すると、自分ではもう気にしていないと思っていたような記憶が出てきて、
「そうか、私は大丈夫な顔をしていたけど、本当は悲しかったんだな」
見ないふりをしていた過去の感情に、目を向けられるようになりました。
さらに、記憶の中に“悲しい思い出”として収まっているはずのものが、
芋づるを手繰っても、不思議と出てこなくて。
なぜだろう? と考えたときに、
「これは“悲しい”を、味わいきった出来事だ」って気がつきました。
味わいつくした感情は、芋づるにならないんだ!
ちゃんと、心のあるべき場所に、収納することができるんだ!
#私的大発見
ということは。
ひとつずつ、感情を味わいきってゆけば、
過去にずるずると振り回されることもなく、心に蓋をすることもなく、
真の意味での“消化”ができるのか!
今まで、何度ぷちんと切っても、同じような感情の記憶が出てくるのは、
力任せに切り離していたからだったのかー!
“今、ここ”の感情に集中するために、切っていた過去の感情。
だけど、目に見えている瞬間だけじゃなくて、
その瞬間に至る歴史ごと、全部含めての“今、ここ”なんですね。
新たな“悲しかった”を、心の本棚に、そうっと収めてきました。
うん、実に良い体験をした!