何もない日を、書く。

「書くことがない」って、よく聞く悩みです。
子どもの夏休みの日記なんて、その最たるものかもしれない。

でも、思うんですよね。
書くことがない日なんて、本当にあるのかな? って。

生きてるだけで、何かしら感じているし、
何かを見て、何かを選んで、今日という日を過ごしている。

つまり、すでに、書くことは「ある」と、私は思っているわけです。
あるという前提で、私は書いている。

書けないと思うのは、いまは書くことが「ない」という前提で、探しているからじゃないかなあ。

何を書いたらいいかわからない。
誰かに伝えるほどのことじゃない。
特別な出来事がない。
だから、書けない。

すると、必死に「ない」を埋めようとしてしまうんですね。
ないから書けない、と考えるので。

「どうしたら足りるか」を探し続けるのは、めちゃくちゃしんどいと思います。
ないものを数えて、毎日を過ごしてたら、書くのも嫌になっちゃいますよね。

だけど、これを、書くことは「ある」という前提に変えると、見る世界が変わります。

ある前提で書く。と言われても、ぴんとこない人もいるかもしれません。
私がよく書くのは、出来事ではなく、感じたことです。

今日すれ違った、風の音。
ふと足を止めた景色の色。
目を細めた、光のまぶしさ。

もうすでに感じていることが、あなたにも確かにあるはずです。
スマホを向けて、写真を撮りたくなるような、ふとした瞬間が。

書けないと思うのは、何もないからじゃない。
感じていないのではなく、言葉になっていないだけ。

何もない日を書く、ということは、からっぽの「ない」を埋める作業ではなくて、
すでに満ちている「ある」に気づき、名前をつけていくこと。
言葉という形で、すくい上げることなんです。

「ない」を探すより、すでに「ある」と信じる。
書くということは、その信頼から始まります。

「ある前提」で書くと、「ある」を見つける習慣が育ちます。
お金だって、幸せだって、同じ。
よく聞く、お水が半分入ったコップの話、
「まだ半分もある」前提か、「もう半分しかない」前提かで、
人生の感じ方が、がらりと変わります。

ある前提で書く時間は、
すでに「ある」に気づくための、鏡になるのです。

何もない日を書く。
今よりちょっとだけ幸せになれる、私の文章術です。

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