【エッセイ】まず、そのまま受けとってみる

高校時代に出会った恩師は、国語科の担当で、演劇部の顧問でした。

脚本を書くのが大好きで、私たち部員を活かすような物語を、楽しそうにずっと書いてくれる。
まだ小さなお子さんがいるパパで、嬉しそうに家族の話をしている。
ひょろりと高い背を曲げて、目尻を下げて笑う、ゆるい雰囲気の先生。

「教師」という立場で初めて出会った、楽しくて自由そうな大人でした。

まったくの自由、じゃなくて。
社会の枠組みの中で、自由に生きる姿を見せてくれる、楽しそうな大人のひと。

あるとき、部活動の一環で、
アコースティックギターの即興演奏を、聴きに行くことになりました。

ステージの上に、おそらく有名なのだろう演奏者がひとり、座っていて。
ぽろ…ぽぽろ…と、音を鳴らしていきます。
メロディらしい旋律はまったくなく、雫が垂れるような、細切れの音が並んでいました。

1時間、それを聴き続けて。
当時の私は、ひたすら焦ったものです。

…どうしよう。素晴らしさが、まったくわからない。
しかも、暗がりと単調な静けさが相まって、眠気に襲われる始末。

わざわざお金を払って、ここにいる人たちは、
みんな、この芸術を理解しているんだろう。

私だけが、わからない。
自分の感性のなさに、ひとり打ちのめされていたのです。

帰り道、先生が小声でつぶやきました。
「俺にはよくわからんかったな。危うく寝るとこだった」

えっ!? と、先生を二度見しましたよね。
その台詞が、衝撃すぎて。

芸術がわからない、と思ってもいいんだ。
自分はわからない、って言ってもいいんだ。
たとえ、芸術に携わる大人であっても。

衝撃だったけれど、同時に、肩の力がふっと抜けたのを覚えています。

私にとって演劇人とは、芸術作品の良さを理解できなければならない存在だったのです。
けれども、好みはあってしかるべきだし、すべてを理解して生きることも不可能だし。

あのとき、わからないことを受け入れてしまえば、
わからないなりに、何かしら感じるものがあったのかもしれません。

むしろ、わからないからこそ、
良さは何なのか? どういったところが魅力なのか?
と、わかる人に聞くこともできたでしょう。
今の私なら、きっとそうする。

まず、そのまま受けとってみる。
私の土台を作った、エピソードのひとつです。

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