子どもたちが、学校に行ったり、行かなかったりする。
行きたかったり、行きたくなかったりする。
子ども3人とも、三者三様にそんな感じなので、
不登校の母・10年めである。
もはやベテランの域なのではなかろうか。
子どもの意思を、尊重する。
私の意思は、持つ。
子どもに愛情をもって関わってくれるひとたちの意見は、敬意をもって聞いてみる。
そうして、私は私の行動と、言葉を決める。
子どもと折り合いがつくこともあれば、つかないこともある。
やさしく包み込む日もあるし、毅然と押し出す日もある。
いつだって、その日そのとき。
そのたびに、私は選び、決断する。
後悔はないけれど、心残りはあったりなかったりする。
いつだって、これでよかったのかなって、揺れてばかり。
1年めだろうが、10年めだろうが、
慣れはあっても、ふとした迷いは変わらない。
そんなとき、思い出すことがある。
もう何年前だっただろう、相談員さんと話したときのこと。
そのころは、登校を無理強いしないことで、
子どもが安定してきて、できることが増えてきていた。
学校や支援機関で、
「今日はこんなことができました」
「こんなところが素晴らしいです」
と聞くたびに、嬉しく思う一方で、
無理強いしないから安定している、その代わりに、
いろんなことができるようになったかもしれない可能性を、
私は潰しているのではないだろうか。
子どもとの距離感や、声かけの匙加減は、今がいちばんいい状態。
でも、もしかしたら、もっと背中を押したら、
花開いた力もあったのではないだろうか。
そんな矛盾した迷いを、少なからず抱えていた私に、
相談員さんは、笑って言ってくれたのだった。
「大丈夫ですよ。心配いりません。
逆に言えば、学校に行っている子は、
学校に行かなかった生き方の可能性を潰してる、ってことになりますしね。
乱暴な言い方をすると、ですけど」
そのとおりなのだ。
どちらを選んでも、どう転んでも、
私たちは、きっと大丈夫なようになっていて。
いつだって、今がいちばんベスト。
揺れながら、今日も自分にうなずいてみる。
