うん、その通りかもしれない。
で、読んでみました。
小児科の先生からの視点というのが、おもしろかったです。
実際に、長女が受診を始めた頃は、確かにこんなふうだったなあ、と思い出します。
当時は私も必死だったので、考える余裕もなかったけれど。
あのとき、小児科の先生がこういう言葉をかけたのには、こんな意図があったのか…!
なるほど、と納得しきりでした。
学校力を考える
著者の上野さんは、学校力を考える上で、不登校の過去を、1970年代から現在まで、4つの時期に分類しています。
そこに書かれていた、
「行かなければいけないのに、行けない」→「行きたいけど、行けない」→「行きたくないから、行かない」→「別に、行かなくてもいい」
という変遷が、そのまま私と長女の気持ちの移り変わりを表しているようで、どきりとしました。
行かなければならないと頑張る日々は苦しかったし、行けないことが重かった私たち。
今ようやく、「行っても行かなくてもいい」と思えるようになったからこそ、気持ちの上では軽やかになりましたが。
そこは決して、終着点ではなく、新たな出発点であるのだと、改めて身につまされます。
上野さんが考える、いろいろストレスはあるけれど、「まあ、休むほどでもないか」という、将来の学校の姿は、次のようなものだそうです。
- 先生がそばにいてくれると感じられる学校
- 机や椅子がいつでも自由に配置できる空間
- 自分たちで人数や活動計画を担保すれば認められる自主的な部活動
- 先生方の専門性が最大限に活かせるような学校環境
- 初等学校教育における学力の見直し
- 子どもからの希望聴取と、その希望にそった〈合理的〉配慮
- 「いろいろな子がいてあたりまえ」という障害と健常が補完的である教育
- 子どもたちの多様性が輝くことのできる少人数の教室
そんな学校で過ごせたら、確かに私は幸せだっただろうな。
中学・高校時代、金八先生やGTOについて、親友と語り合ったこともありました。
きっと、学校のままならない現実をどうにかしてほしい、大人への気持ちもあったと思います。
なじむことはできなかったし、「学校なんて」とネガティブに捉えてはいたけれど、一方で「そこまで悪くもないかもしれない」と感じながら、過ごせたこと。
友達か、先生か、学校か、どの力によるものかは、今となっては一概には言い切れませんが。
それは紛れもなく、私の人生の財産になっていることで。
娘が学校に行くならば、少しでも「まあ、悪くないかもなあ」と思えるように過ごせたら、嬉しいですね。