本当に、その通りだなと思います。
斎藤一人さんや心屋仁之助さんに触れてから、こんなタイトルにも、素直にうなずけるようになりました。
40年近く生きてきた経験の中でも、大概の心配は取り越し苦労で、何とかなってきています。
その真理を説いた禅の教えを、日常生活にわかりやすく落とし込んだ1冊です。
著者がこの本で伝えたいのは、
余計な不安や悩みを抱えないように、
他人の価値観に振り回されないように、
無駄なものをそぎ落として、
限りなくシンプルに生きる。
ということだそう。
最後まで読んでみて、
「いま」「ここ」「あたりまえ」「あるがまま」
これらが、禅の「シンプル」を読み解くキーワードになっている印象を受けました。
私生活もビジネスシーンも、老いも若きも、さまざまに通じることが多かったのですが。
私の心に特別残ったのは、「あたりまえ」について書かれた中の、
あるべきものが、あるべきところに、あるように、ある
という言葉。
あたり前に思ってしまう最たるものの、「親の存在」を例に挙げて語られています。
もうひとつは、「なにものにもとらわれない姿」を語る、
水に一石を投じると、さざ波が立ち、波紋が生まれます。
その波紋をなんとか静めようとして手を水に入れたら、さらに複雑な波紋が生じる。
放っておけば、しだいに波紋は静まっていき、やがては鏡のような水面が戻ってきます。
心も同じことでしょう。
この一節です。
風に吹かれるままに、けれど確かに在る雲や竹にも例えて、「無心」に近づくことを教えてくれます。
あれもこれもと、たくさんの知識を学び、経験を蓄え、モノもお金も際限なく求めて積み上げてきた、若者時代。
すべてを休みなく吸収し、成長することがよしとされてきましたが。
たぶんそろそろ、それだけではない人生に気がつく年齢であり、時代であり。
体も心も、生き方も暮らし方も、シンプルになっていい頃だと思っています。