心屋さんの、新しい切り口の本を見つけて、買ってみました。
お金、好きなこと、ダイエット、母親、恋愛と読んできて、今回は「成長論」。
読んでみると、「過去作品の総集編。一部書き下ろしあり」のような印象でしたが。
心屋さんの「あり方」の話は、実にいろんな面から描くことができるんだなあ、と思いました。
私的キーワード
心のあり方を書き換えている最中の私。
自分に「価値がある、大丈夫」と「でも不安…」とを、行きつ戻りつしながら、少しずつ上っている感じです。
そんなときに、改めて触れると「あ、そうだった。大丈夫なんだった」と思えるキーワードが、この本にもいくつかありました。
- 蛇口からじゃーじゃーお金が出てくるとしたら、何をする?
- 今、あなたが現状について悩んでいるということは、現状のあなたの傍らで、なおざりになっている人…、もっといえば、あなたの成長を願いながらも、あなたと一緒に不幸せになっている人がいるに違いないのです。
- 叩かれ具合は、テクニックで調節できる
- 日々、目の前にやってくる出来事を「ときめくか、どうか」で仕分けした
- 何事も「そうなんだ~」でいい
特に、最後の「そうなんだ~」は、ついつい目の前の出来事に悩んでしまうときに、使いたいですね。
目の前の問題を「問題」にしているのは自分自身だから、「そうなんだ~」と思えば気にならないし。
そう思えないときは「思えないんだ~」、さみしいときは「さみしいんだ~」でいい。無理に解決しようとしない。
白黒つけずにグレーのままで、気持ちを漂わせておけば、いつかその感情に飽きて「もう、いいか」となるそうです。
受け入れること
この感じ、何だか私が、長女や旦那さんを理解していく過程に、似ていると思いました。
自分も他人も世界も、同じことなのかもしれません。
そういえば、ザビエルさんの本にもありましたね。
夫の行動を問題だと思っているのは、妻がその行動に理由付けをしているからであって、夫の行動そのものには関係なかったり。
メディアリテラシー講演会でも、主観的な表現と事実を見分ける大切さを習いました。
「事実と意見をゴッチャにしない」というところですね。
自分の納得がいく理由がほしくて、問題を解決しようとしたり、理由をつけたり、主観だけで物事を捉えたりしてしまうけれど。
それはそれ、これはこれ。
「そうなんだ~」と、自分の内に、その出来事や気持ちを漂わせておける余裕が、「受け入れる」ということなのかな、と感じました。
心に刻みたい「成長論」
成長とは、何も素晴らしいことではありません。
成長とは、ただただ、とにかく楽しくて、おもしろいこと、なのです。
そしてこれが成長する(Do)ではなく、成長している(Be)、ありのままの自分の姿なのです。
私もさっそく、ストイックな成長から、ゆるゆるの楽しい成長へ、シフトしてみたいと思います。