愛するあなたの子を授かって、十月十日後に死ぬつもり。(夕鷺かのう)

タイトルに、どきりとさせられました。

一人は、夫に浮気され、待ち望んだ彼との子を流産し、死にに来た女。

次の一人は、その夫の浮気相手で、彼との子供を人知れず孕って出産し、コインロッカーに捨てた女。

そして最後の一人は、捨てられた子供をこっそりと拾って育てていた女。

「そんな偶然ってある……?」

主人公と一緒になって、思わずそう呟きたくなってしまいますが。

そんな偶然があって、3人が出会って、人生が大きく動き始めるのは、気持ちのよい衝撃です。

それぞれに行き詰まっている間は、誰の立場になっても、底なし沼にはまっていく感覚で。

暗くて苦しくて、重たい何かに取り憑かれているようでした。

作中の言葉を借りるなら、

「私、……普通の女になりたかったんです」

「なんかね、女ってだけできついことが多すぎるなって」

不妊治療での夫の無理解。実際に産むのが、乳を与えるのが女であるが故に、妊娠出産が「女性だけのもの」として捉えられ、キャリアへのリスクも、家事の負担も、結局女が引き受けるのが当たり前になってしまっている現実。

「私、そのあたりはもう仕方ないのかなって思ってたの、今まで。そういうのが“普通”の社会に生まれてきたんだから、どういう人生を送るかは自己責任! もし困ることがあったら、それは今まで選んできたもののツケなんだ! ってね……」

(中略)

「でも、いざ自分がその“普通”じゃない“自己責任”の渦中に一度でも放り出されてみたらね……すっごくキツいわね。これって」

ということなのでしょう。

けれど、3人が出会って「生まれ直し」していくさまは、爽快でした。

手の届かない眩しさではなく、等身大で「追いかければ、届かないわけじゃない」のが、共感できる素敵さなんです。

「私は、……私の“女”を不幸にしたくない」

だからせめて、これからは手を差し伸べる人でありたい。

「どうせ生きている限り歩き続けないといけない……なんて分かってるから。立ち止まって考える時間があってもいいんだって、誰かに言って欲しいじゃない」

人生の道しるべはいつでも自分の中に持ちたいと。夫のせいでも、子供のためでもない。ちゃんと自分で考えて、決めて行く。選んでいく。

「もう私は、自分の人生の手綱を他人に握らせたりしない。恥も外聞も、普通も自己責任もくそくらえよ」

かっこいい。

女として、たぶん“普通”の部類で生きてきた私ではあるけれど。

彼女たちのように、自分で人生の舵をとり、目の前で誰かが困っていたら、手を差し伸べられるぐらいの船で、社会を生き抜いていきたいと思いました。

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