タイトルに、どきりとさせられました。
一人は、夫に浮気され、待ち望んだ彼との子を流産し、死にに来た女。
次の一人は、その夫の浮気相手で、彼との子供を人知れず孕って出産し、コインロッカーに捨てた女。
そして最後の一人は、捨てられた子供をこっそりと拾って育てていた女。
「そんな偶然ってある……?」
主人公と一緒になって、思わずそう呟きたくなってしまいますが。
そんな偶然があって、3人が出会って、人生が大きく動き始めるのは、気持ちのよい衝撃です。
それぞれに行き詰まっている間は、誰の立場になっても、底なし沼にはまっていく感覚で。
暗くて苦しくて、重たい何かに取り憑かれているようでした。
作中の言葉を借りるなら、
「私、……普通の女になりたかったんです」
「なんかね、女ってだけできついことが多すぎるなって」
不妊治療での夫の無理解。実際に産むのが、乳を与えるのが女であるが故に、妊娠出産が「女性だけのもの」として捉えられ、キャリアへのリスクも、家事の負担も、結局女が引き受けるのが当たり前になってしまっている現実。
「私、そのあたりはもう仕方ないのかなって思ってたの、今まで。そういうのが“普通”の社会に生まれてきたんだから、どういう人生を送るかは自己責任! もし困ることがあったら、それは今まで選んできたもののツケなんだ! ってね……」
(中略)
「でも、いざ自分がその“普通”じゃない“自己責任”の渦中に一度でも放り出されてみたらね……すっごくキツいわね。これって」
ということなのでしょう。
けれど、3人が出会って「生まれ直し」していくさまは、爽快でした。
手の届かない眩しさではなく、等身大で「追いかければ、届かないわけじゃない」のが、共感できる素敵さなんです。
「私は、……私の“女”を不幸にしたくない」
だからせめて、これからは手を差し伸べる人でありたい。
「どうせ生きている限り歩き続けないといけない……なんて分かってるから。立ち止まって考える時間があってもいいんだって、誰かに言って欲しいじゃない」
人生の道しるべはいつでも自分の中に持ちたいと。夫のせいでも、子供のためでもない。ちゃんと自分で考えて、決めて行く。選んでいく。
「もう私は、自分の人生の手綱を他人に握らせたりしない。恥も外聞も、普通も自己責任もくそくらえよ」
かっこいい。
女として、たぶん“普通”の部類で生きてきた私ではあるけれど。
彼女たちのように、自分で人生の舵をとり、目の前で誰かが困っていたら、手を差し伸べられるぐらいの船で、社会を生き抜いていきたいと思いました。