井戸端会議

昔から、苦手だったんです。

お母さんたちやおばちゃんたちが、何人か集まって立ち話していること。

子どもの頃は近寄りがたい空気を感じていましたし、大人になってからも、グループ内で気を遣いながらしゃべるのは苦痛でした。

何より、「わざわざこんなところでしゃべらなくても、家とか店とかで会えばいいのに」という気持ちが強かったのですが…

井戸端会議、あながち毛嫌いするものじゃないなあ、と思うことがありました。

ただのおしゃべり

用事ついでに近所を歩いていたら、たまたま友達とばったり会って。

30分ぐらい、とりとめのないおしゃべりをしました。

子どものことや町内のこと、近況など。

途中で、年配のおばちゃんが通りかかって、立ち話している私たちに、お菓子をくれました(笑)。

おしゃべりして、お互いに充電して、再び家事育児のために帰宅しました。

それだけのことなのですが、気の置けない友達との時間は、たくさんのエネルギーを与えてくれます。

これを、出かけようとか家に招こうとか考えると、お互いに、まず時間を作り出さなければなりません。

その上で、お楽しみに影響がないように、家事育児の段取りをしておかなければならないわけです。

家族の都合も、もちろん関わってきます。

ただちょっとだけ、しゃべりたい。

けれど、毎日必ず会えるコミュニティがあるわけではなく、子どものように「遊ぼう!」と、突然行くわけにもいきません。

それぞれに都合があるのだとわかっているから。

だからこそ、自分の暮らしの途中で偶然会えたら、互いに影響がない程度に、おしゃべりしたくなる。

それが「井戸端会議」の正体なんですね。

親しくない集団での井戸端会議は、今も変わらず苦痛ですし、できるだけ関わらないようにしていますが。

仲良しの友達と話す時間の、ひとつの形としての井戸端会議は、むしろ好きになりました。

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