重松清さんは、10代のときに「ナイフ」と「エイジ」を読んだことがあります。
当時の私には――その頃は、まだ当事者の年代だった私には、重すぎて、苦しくて。
完全に受け止められなくて、以来、何となく避けていました。
けれど、こちらは娘が「おもしろかったよ」と本を閉じたので、読めそうだなと思って。
「少女たちに」と書かれているし…
それでも、おそるおそる、読み始めました。
あ、おもしろい。
確かに重みはあるけれども、子どもの私が感じたような、息苦しい閉塞感や無力感はありませんでした。
むしろ、思春期にこんな思いを抱えていた記憶に加えて、母としての気持ちが入るので、親サイドにすごく感情移入してしまいます。
思春期の娘を持つ身としては、特に。
どうしようもない現実はあって、それほど日々に変わりはないのだけれど、物語の終わりには、必ず何かが変わっている。
当事者にしかわからない、何かが。
痛快なカタルシスとは違う種類なのですが、霧が一瞬晴れたような、無の世界に一滴の水が落ちたような…。
重かったけれど、「明日からも、何とかなるかな」と思える、一筋の清涼感が残ります。
うん、おもしろかった!
重松清さんを、過去のイメージで、食わず嫌いしていたことが残念です。
ほかにも読んでみようかな。
昔は辛かった「ナイフ」や「エイジ」も、もしかしたら、今読んだら違う感触なのかもしれませんしね!