読んでみて、すっかり大好きになった、ドミニック・ローホーさん。
これまで、さまざまな断捨離やミニマル、シンプルに触れて、多すぎるモノに囲まれる息苦しさを知り、少しずつ身軽に生きられるようになりました。
けれど、ドミニック・ローホーさんの暮らしは、たとえばパレートの法則8:2だとか、収納の黄金比率7:5:1だとか、色使いやインテリアをシンプルにする方法だとか、そういった法則に乗っ取っている感じではないんですよね。
私が今までやってきた「モノを減らす」とは、ちょっと違う気がする。
その答えが、ここにありました。
「本物のシンプルライフとは」の章は、気づきの宝箱のよう。
彼女は、シンプルをこのように語ります。
シンプルに生きることが節制の同義語であってはならず、むしろ成熟、充実、ゆとりを意味するべきなのです。
心地よさを超えて必要以上のモノを所有すること、反対に極端に何もない状態に身を置くことは過剰な行為と言えます。
つまり、シンプルに生きることは、
たくさんある持ち物、消費するモノ、取り組む物事の中で、自分が一番心地よいと感じられる中庸を見つけて生きていくこと。
自分にとって何が一番大切なのか、焦点をそうした物事にのみ絞ることができるようになることなのです。
この価値観でいくと、中庸は人によって違いますから、シンプルライフは不変の法則で成り立つものではないことがわかります。
また、「断捨離」「ミニマリズム」の、言葉の表面だけ捉えた流行に縛られることにも、注意を促しています。
ミニマリズムが自分の周囲に完全に何もない空間を作ることであるならば、シンプルライフは、詰め込みすぎの戸棚と私たちのこころに心地よい風を通してあげることかもしれません。
別な言い方をすれば、ミニマリストになるためにすべてを捨ててしまってはいけません。
モノを処分することが私たちの人生を導くものであってはならないし、ましてや一時的な流行で私たちを縛る制約であってもならないのです。
モノを処分していくことは、反対により深い、現実的なものに、とりわけ自分自身の現実に結び付くべきものなのです。
「風通しを良くする」は、「シンプルに生きる」にも書かれていました。
私が共感する本には、「風通し」「循環」といった言葉が多いですね。
断捨離も、ミニマリズムも、本来の意味とは違った形で流行っているのは、やはり捨てることで訪れる変化が快感になり、麻薬のように極端に追い求めてしまうからかな、と思います。
私自身、捨て始めた最初の頃は、捨てる・減らす=正・善・快という意識にとらわれてしまっていて、そこに本当の笑顔と幸せはありませんでした。
シンプルも、断捨離もミニマリズムも、すべては「目的」ではなく「手段」です。
「より少ない生き方」で学んだことを、改めて心に刻みました。
裏帯に、
シンプルは美しい
と書かれています。
そう、私が目指しているのは、良識と美に満ちた心地よさ。
彼女の本は、これからも、迷ったときの指針になりそうです。