学校の「当たり前」をやめた。(工藤勇一)

学校の「やめてみた」って、おもしろそう!

で、買ってきました。

学校は何のためにあるのか

工藤さんは「子どもたちが、社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにある、と考えています。

よりよく生きていけるようにする手段としての「学校」は、何ができるのか。

子供たちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち「自律」する力を身に付けさせていく必要があります。

さまざまな試みが、その上位目的を見失わずに、一貫して行われているので、どこを読んでも納得しきり。

また、私がこれまで読んでいたような、個人の変革の話ではなく、「学校」という組織としての話なのも、新鮮でした。

根っこは似ているのですが、やはり組織を動かしていくには、プラスアルファが必要になってくるんですね。

帯に「ビジネスマンにも反響」とあったのが不思議だったのですが、読んでみて、謎が解けました。

学校だけでなく、企業や地域集団など、すべての組織に通じる内容が、わかりやすく論理的に書かれていたので。

こういう、組織を対象とした本も、おもしろいです。

「対立」との向き合い方

これについては、私個人にも、刺さる内容でした。

考えや価値観は人それぞれであり、私たちが生きている限り「対立」はどこでもいつでも必ず起こります。これ自体は、何ら悪いことではありません。むしろ、この対立を避けることの方が大きな問題だと感じます。

私たちにとって大切なのは、考え方に違いがあることを「当たり前」のことと捉えた上で、上位目的を見据えながら、合意形成を図っていくことです。そしてこれこそが、これからの時代を生きる生徒たちに教えていかなければならないことだと考えます。

私は揉めるのが大の苦手なので、つい対立を避けてしまいがちです。

でも、避けるだけでは、根本的な解決にはなっていないんですよね。

社会の中でよりよく生きるためには、対話して合意形成を図る力が、不可欠なのだなあと感じました。

家庭と学校と地域が一体となって、生きる力を、子どもたちにつけてあげられたら。

1人の母親として、学校に子どもを「預ける」のではなく、当事者として共に関わり、学びたいと思いました。

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