ただ生きられるのなら

長男の学級通信に、担任の先生からクラスの生徒たちへの願いとして、こんなことが書かれていました。

0.生きて

1.とにかく学校に来てほしい

2.楽しく過ごしてほしい

3.自分のいいところを見つけてほしい

4.人のいいところを見つけてほしい

5.自分の不機嫌をまわりに伝染させないで

へえ、いいこと言うなあ。

隣で長女も、

「こんなの生徒に言う先生には、会わなかったなあ」

と興味を惹かれた様子です。

イライラして唸りながらランドセルを片づけていた長男に、

「ほら、“不機嫌を伝染させないで”って書いてあるよー」

学級通信を渡してみました。

すると、彼は“生きる”を指して、

「これならできるけどさあ、学校に行くのは無理だよ〜」

と、軽い調子で言ったのです。

「…すごいね」「うん。すごい」

長男の言葉に、私と長女は顔を見あわせて感嘆しました。

「死にたい。生きたくない。つらい」と、悲痛な葛藤を抱えて苦しんだ娘と、それを目の当たりにした私は、ただ生きることは難しいのだと知ってしまったから。

“生きる”を「できる」と言い切れる長男が、純粋にすごいと感じましたし。

そう言える子に育っているなら、いま学校に行けなくても大丈夫。

私は至らないけれど間違ってはいなかった、と思えました。

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