片づけの話を、書いてみました。
ノウハウではなく、意識のほうの話です。
【片づけと掃除】
私の片づけが、大きく動いたのは、
「持ち物の2割で生きてみよう」と、思い立ったときでした。
…とはいうものの、そこに何かひとつの、ドラマティックなきっかけがあるわけじゃない。
そもそも片づけはするものだと思っていた、とか。
整然と並べるのが好きな質だった、とか。
婚家の物の多さに愕然とした、とか。
何となく人生を変えたいタイミングだった、とか。
全部の点が絡み合って繋がったときに、化学反応が起きるのだと思うのです。
それがたまたま、片づけという形で、訪れたんですよね。
私が大事にしている、選択基準のひとつに、
「わかりやすいかどうか」があります。
片づけは、目に見えて綺麗になるから、結果がわかりやすいし、
家のどこに何があるのかが、わかりやすくなるから、
「片づけて、シンプルに暮らす」方向性は、私の気質にも合っていたんだろうな。
#わかりやすいは気持ちいい
#なのでごちゃごちゃしてきたら片づける
片づけると、掃除がしやすくなるのも、嬉しい。
私は、片づけは好きだけれど、掃除はそんなに好きではありません。
#自分が過ごしたい環境と掃除を天秤にかけて
#掃除することを選んでいるだけ
#誰かがしてくれるならお任せしたいw
それでも、やりやすくなったことで、掃除の魅力がわかった部分もあります。
ものが減って、掃除の手順が減って、何も考えずにできるようになると、
行動から心を整える、瞑想のような効果があるんだな、って。
お寺の修行で見る、朝いちばんの掃除も、同じなんだろうな。
というのを、体感できます。
また逆に、このような文章に書くあれこれが、掃除をしている間に、ぽやぽやと形になることも多いんです。
#机に向かったら言葉が出てくるわけではない
片づけによって、掃除の手順がわかりやすくなったので、
無心に手を動かす時間は、思考が自由に羽ばたける時間にもなっています。
こうして考えてみると、私の体(行動)としては、
片づけ=物の定位置を決める=配置
掃除=不要な塵を取り除く=除去
が目的なのだけれど、心(思考や感情)としては、
片づけ=片をつけて、まっさらにしていく=除去
掃除=その状態を維持して、自由に書き込んでいく=配置
という、真逆の立ち位置なのが、おもしろいです。